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それにしても「最高の人生の見つけ方」は、ダメな邦題の見本だった。

それにしても、ジャック・ニコルソンは、強烈な風貌の持ち主だ。なんと言っても眼がスゴい。あの眼は、狂気とまでは言わないが、エキセントリックなものを孕んでいる。
 
そのジャック・ニコルソンが、引退するという記事がネットに出ていたが、「台詞を覚えられんようになった」と書いてあった。役者が記憶障害になったら、こりゃ、命取りだ。一方で、「引退は事実ではない」との報道もあるから、ここは、誤報であることを願っておく。
 
原題は「棺桶リスト」というのだから、センセーショナルとまでは言わないにしても、心がざわつくようなニュアンスがあるだろう。話題性というか、ヒットを狙うのなら、いっそのこと「ジャック・ニコルソンの棺桶リスト」とでもしたら、よかったんじゃないか?
 
ネットの翻訳サイトで調べたら、「BUCKET LIST」の和訳に「棺桶リスト」というのは出てこなかった。「バケツリストとは、生きているうちに成し遂げたい行動や業績のリスト」ということなんだが、ここは、やはり、「バケツリスト」ではなくて、「棺桶リスト」の方がぴったりだ。
 
いや待てよ、「骨缶リスト」の方がいいかも知れない。ジャック・ニコルソンも「骨壺」より「骨缶」に骨を入れて埋葬してほしいと言っていた。
 
それにつけても、日本の映画会社のタイトルを付ける役の人のセンスを疑う。この映画の邦題を「最高の人生の見つけ方」とした時点で、老人の残された人生への執着というか、過ぎ去りし人生への悔恨というか、そういう暗澹としたものが見事にこそぎ落とされて、薄っぺらくなってしまった。
 
ま、気を取り直して、私も「骨缶リスト10」なるものを作ってみようか・・・?リストの1番目は、「東京オリンピックの開会式を見に行く」にしておこう。2020年のオリンピック開催都市に東京が選ばれた。前回の東京オリンピックの時は15歳だった。2020年には、多分まだ生きているつもりだから、見に行けるかも知れない。
 
2番目は、「兵馬俑を見に行く」かな・・・。最近は日本と中国の関係が多少ぎくしゃくしているが、観光客に対して手荒な真似はしないだろう。これが、シリアのパルミラ遺跡見学だと相当ヤバいが。3番目は、「マチュピチュに行く」だ。マチュピチュのあるペルーも、あまり治安がよくはないようだが、数ある世界遺産の中で、この二つだけは、ぜひ我が眼で見てみたい。
 
観光しかないのか?とつっこまれそうなので、もう少し真剣に考えよう。4番目は、小型のスポーツカーで、本州の北の端の竜飛岬から九州の南の端の佐多岬までの、およそ2150キロを激走(と言っても1泊くらいはしなくては、体力的に難しいだろうが)してみる。
 
5番目は、やはり旅行がらみになってしまうが、スコットランドアイラ島に、「Friends of Laphroaig」のメンバーに終身賃借権を与えられている1平方フィートの土地を見に行く。6番目は、スイスのバーゼルにあるレンゾ・ピアノ設計のバイエラー財団美術館に、ジャコメッティの彫刻を見に行く。7番目は、ニュージーランドブラウントラウト釣りをする。あと3つか・・・。
 
バルセロナのガウディの建築群見学もいいし、南仏エクサン・プロヴァンスのサント・ヴィクトワール山も眺めてみたい。ガラパゴス諸島ダーウィンフィンチの観察、マダガスカル島バオバブの並木道散策、アイスランドのオーロラ見物、ギアナ高地テーブルマウンテン登頂(といってもヘリコプターでだが)と、行ってみたいところは数あれど、懐具合が不如意なもので、ま、8番目と9番目は今のところ保留にしておこう。
 
さて、10番目だが、この「映画レヴュー」を1001本書き上げることだ。て、ことは、あと840本くらいは映画を見なければならない計算になる。無理かも・・・。
 
ついにこの日がやって来た。とうとうリメイク用のネタの在庫が尽きてしまった。これにて、ひとまず閉館。ガラガラ、ピシャ!
 
最高の人生の見つけ方 The Bucket List (2007)
監督:ロブ・ライナー 脚本:ジャスティン・ザッカム

『グラン・トリノ』は、男のけじめのつけ方を教わった気分だ。

この映画の制作当時、アメリカの中でも経済的に最も疲弊していた中西部デトロイト近郊の町が舞台だ。この辺りは自動車工業のメッカだったのだが、GM、フォード、クライスラーのビッグ3のクルマが売れなくなって、工場が次々に閉鎖され、白人がいなくなってしまった住宅街に、後から入り込んできたのがアジア系の亡命者たちだったという設定だ。
 
モン族というのは、ベトナム戦争の頃に、米軍に協力したので、戦争が終わった後に、ベトナム政府から迫害を受け、アメリカに亡命してきたらしい。フォードの元工員だった朝鮮戦争帰還兵の爺さんは、奥さんを亡くしたばっかりなんだが、その爺さんと隣家に引っ越してきたモン族の青年とその姉との交流を描いているのだが、爺さんにも、亡命してきたモン族にも、それなりの事情がてんこ盛りなので、観ている方もかなり重苦しい気分になってくる。 
 
アメリカの人種差別も、まだまだあるようだ。南部は特にひどいらしいが、中西部も決して人種差別がないわけではない。ま、ニューヨークは別格のようだ。世界中からあらゆる人種が集まっている人種のるつぼだから、いちいち人種差別をやっていたら生活ができないからだろう。
 
それにしても、クリント・イーストウッドは、この映画でも、ダーティー・ハリーばりの強面親爺だった。その強面ぶりが、ラストの伏線だったのだが・・・。 ま、男のけじめのつけ方を教わった気分だ。
 
ガソリンをばらまきながら走るアメ車は、過去の遺物と言ってもいいのだろうが、速い、でかい、クルマが威張っていた時代から、そこそこ速いし、燃費も凄いエコカー全盛の時代になって、アメ車は出る幕がなくなってしまっていた。さすがのアメリカ人も、昔風の恐竜クルマには見向きもしないようになった。
 
しかし、アメリカといえば、マーケティング理論の本場なんだから、もっと早く、世間の人が乗りたがるクルマ像をキャッチして、さっさと開発していてもよかったはずなんだが、アメリカ国内で生産できなくても、アメリカ資本で海外に工場作って、逆輸入するなりできたと思うのに、なんでそうはならなかったんだろう? 
 
グラン・トリノというクルマは、乗ったことも、見たこともなかったが、同じフォードのマーキュリー・クーガーというクルマには、10代のガキの頃に、よく乗せてもらっていた。我が家が金持ちだったのではなくて、ダチが金持ちのドラ息子で、そいつの運転で、遊び回っていたんだ。ほんまもののバカ造だった。そのクルマはどでかい図体なんだが、2ドアで、後部座席はめちゃめちゃ狭かった。当時はまだ珍しかったオートマ・パワステ・パワーウインドウ・エアコン・8トラのカーステレオと豪華絢爛のフル・スペックだった。10代の頃のほろ苦い思い出でしかないけれど・・・。
 
グラン・トリノ Gran Torino (2008) アメリカ
出演:クリント・イーストウッド  ビー・ヴァン アーニー・ハー 
    クリストファー・カーリー ブライアン・ヘイリー

『おくりびと』は、いい映画だったが、「キレイになって、逝ってらっしゃい。」というキャッチコピーは、どうなんだ?

第81回アカデミー賞外国語映画賞を受賞した「おくりびと」だ。いい映画だった。納棺師という仕事があることを初めて知った。戦争で亡くなった兵士の遺体なんかをきれいにするエンバーミングというのがアメリカで始まって、日本にもあるというのは以前から知っていたが、納棺師の場合は、湯灌して、白装束に着替えさせて、死化粧を施し、棺に納めるまでが仕事のようだ。
 
しかも、遺族が見守る前で、一連の作業というか所作をするので、これはなかなか緊張するだろう。高校時代の友人も、大学生の時に葬儀社のバイトをやっていたのだが、日当は結構よかったようだ。やはり、誰もが積極的にはやりたがらない仕事は、多少は割がよくないといけない。それに、こういう仕事は、天職だと思わないと長続きしない。 
 
今時の都会では、自宅で葬式を出すことがほとんどなくなったので、こういう場面に立ち会うことがなくなりつつあるように思うのだが、それにしても、生まれてきた限りいずれは死ぬのだが、死出の旅支度については、誰かにやってもらうしかないので、ぞんざいにやられるのは、私としても嫌だ。
 
ただ、あの白装束は願い下げにしたい。いくら民族衣装だからといっても、あの和風の格好で、冥土の旅に出発するのはカッコ悪い。時代劇のエキストラじゃないのだから、21世紀仕様の白装束を開発してくれたらと思う。白のタキシードでは、いささか演歌歌手の感じがするが・・・。
 
最近の葬式では、霊柩車も宮型が絶滅危惧種になりつつあり、リムジンタイプの黒塗りワゴンが増えてきているが、あの黒塗りリムジンもいいんだけれど、花電車みたいに派手な演出の霊柩車があったらいいのにとも思う。 おごそか感と言うか、しめやか感というのは皆無だが・・・。
 
ところで、東京の楽団でチェロ奏者をやっていた男が、プロの音楽家の道を断念して、故郷に帰ってきたのだから、いくら学生時代に弾いていたチェロが家にあったといっても、もう一度弾いたりするものだろうか?プロとしてやっていた音楽を断念したのだから、2度と楽器に触れようとしないのではなかろうか?ま、クラシックの音楽家は、そんなに儲かるものではないだろうから、音楽が好きでないと出来ない仕事だから、プロとしては続けられなくなったとしても、演奏することまで辞めてしまうことにはならないのかも知れないが・・・。
 
本木雅宏もよかったが、山崎努には、いかにもそちら関係の人らしい陰気くささが漂っていた。それと、贔屓にしている余貴美子嬢もよかった。嫁さん役の広末凉子はまあまあだった。彼女はWEB デザイナーという設定だったのだが、全くそれらしくはなかった。
 
これはどうでもいいことなんだが、この映画は、日本的な旅立ちのお手伝いを描いているのだが、主人公の実家も、NKエージェンシーの建物も、国籍不明の洋風建築だった。やたら食べ物を手づかみで食べるシーンが出てきたのだが、あれを観た外国人は、日本人は何でも手づかみで食べるのだと思い込むそそっかしい奴が出てくるかも知れない・・・。
 
それにしても、「キレイになって、逝ってらっしゃい。」というキャッチコピーは、どうなんだ?
 
おくりびと Departures (2008) 日本
監督:滝田洋二郎 脚本:小山薫堂

『ストレイト・ストーリー』は、爺さんの心意気にカンドーした。 

この映画は、73歳のアルヴィンじいさんの虚仮の一念と言ったら失礼だが、誰もが無謀と思う大冒険に出かける心意気にカンドーしてしまった。一寸の虫にも五分の魂、二寸のひこばえにも末は大木の心意気だ
 
アバウト・シュミット」のジャック・ニコルソンは、キャンピングカーで出かけていたが、この爺さんは、おんぼろの芝刈り用トラクターにトレーラーをつけて、500キロの長旅に出発したのだが、そもそも芝刈り用のトラクターで公道を走ってもいいのだろうか?しかも、トレーラーまで牽引して・・・。しかし、そういう初歩的な疑問は措いておいて、ここは前進あるのみだ。
 
この映画、ワルが一人も出てこない。人間の懐の深さがよく出ていた。自転車レースの一団が通り過ぎていったけれど、どうみても草レースっぽかった。リカンベントも結構走っていた。アメリカは、自転車乗りにとってはいい国らしい。
 
日本は数は多いけれど、ほとんどがママチャリだが、自転車乗り人口が最近急増している。しかるに、スポーツとして自転車で走れる道が少ない。以前自転車で転んだのは、淀川右岸の河川敷なんだが、そこらじゅうに、原付やバイク乗りの連中が入り込んで来ないように輪止めが設置してある。
 
その上、道路に人工的に蒲鉾状の凸部まで作ってあった。その凸部で転んだのだ。そこそこスピードが出ていたので、左膝、左手、左肘、左肩、左頬に打撲傷を負った。大怪我だ。自転車用ヘルメットにヒビまで入った、大損だ。責任者!出てこい!!
 
自転車だけに、話が横道にそれてしまった。爺さんは前進あるのみだ。リチャード・ファーンズワースは、かっこいい爺さん役者だった。爺さん役者の日本代表は笠智衆だろうが、どっちか言えば、リチャード・ファーンズワース系の爺さんになりたいな。笠智衆ではちょっと枯れすぎだ。とは言うものの、自転車で日本一周しようとは思わない。
 
ロードムービーは、東海道中膝栗毛と一緒で、次々おもしろい場面が出てきて、ハプニングに次ぐハプニンングの連続でないとダメなんだが、この映画でも、一見淡々としたストーリーと思わせておきながら、いろんなエピソードを塩梅よく挿入してあった。一番感動したのは、◆◆ネタバレ注意◆◆10年ぶりに再会した兄貴と抱き合わなかったことだ。このデビッド・リンチの演出は、実に日本的だった。それと、実にケータイもスマホもない時代の映画だった。◆解除◆
 
ストレイト・ストーリー The Straight Story (1999) アメリカ・フランス
監督:デヴィッド・リンチ 脚本:ジョン・ローチ メアリー・スウィーニー
出演:リチャード・ファーンズワース シシー・スペイセク 
         ハリー・ディーン・スタントン  ジェームズ・カダー 
         ウィリー・ハーカー エヴェレット・マッギル

『エル・スール』は、客の立場というものに、配慮が要るんじゃないか?

ま、言ってみたら純文学映画だ。この監督の長編第1作の「ミツバチのささやき」の方は、結構贔屓にしていたのだが、この映画は、話があまりにも見えなかったので、何ともはやだった。
 
映画を観た後で、DVDの付録の解説を読んだら、どうもこの映画には原作があったようで、原作を読んでから映画を観るか?映画を先に観てから原作を読むか?の永遠の疑問に一つの答えを与えてくれる。この映画の場合は、原作を読んでおいた方がいい。
 
原作では、主人公の女の子の行動も、父親の行動も、少しは説明されているようだから、読者はしぶしぶ納得させられるのかも知れないが、映画だけを観たのでは、いっさい説明されないから、何のこっちゃ?と訝りながら観ているうちに、唐突にエンドロールが始まってしまう。エンドマークすら出なかった。 
 
それでも、芸術系の映画好きとしては、結構気に入っていたりするのだが、何故かと言えば、画面がきれいだった。しっとりした名画、映画ではなくて絵画の方、フェルメールの絵のような奥深い趣があった。
 
ちょっとばかり考察してみるに、絵は画家が描いたものだから,画家の目を通した風景だが、映画の映像は、CG使いまくりで、鬼面人を驚かす類いの派手な映像はあっても、映像美というほどの映像は、滅多にお目にかかれない。何故なの?とつらつら考えるに、映画監督は、ついつい役者の演技の方に目がいって、背景にまで目配りできてないんじゃなかろうか?それとも,カメラマンの腕の問題か?
 
いずれにしても、この映画のように、監督が映像美にしか興味がないのじゃなかろうかというような映画は珍しい。
 
◆◆ネタバレ注意◆◆それにしても、この親父、水脈判定師というのか、要するに、ここ掘れワンワン、井戸を掘る場所を見つける仕事をやっている(のか?)ようなんだが、そんな仕事で、食っていけるものだろうか?実家は結構お金持ちみたいだったから、嫁さんが亭主に内緒で援助してもらっていたのだろうか?それにしても、あの親父は何が気に入らんといって、失踪してしまったんだ?◆解除◆
 
しかし、こういう映画はDVDで観るに限る。この映画の予告編も特典映像に入っていたけれど、これも「何じゃらホイ?」の代物だった。この予告編を観て、映画館に足を運んだら、どれほど寛大な人格者でも「金返せ」と言うな。わざわざ映画館に行って、なけなしの金を払らって観た映画が、なんのことか訳が分からなかったら、客が怒るのは仕方がない。監督さんも、もう少し客の立場というものに配慮が要るんじゃないか? 
 
エル・スール El sur (1983)  スペイン・フランス
監督・脚本:ビクトル・エリセ
出演:オメロ・アントヌッティ ソンソレス・アラングーレン イシアル・ボリャン

『英国王のスピーチ』は、どこといって、つっこむところがなかった。と言って、名作というほどでもない。

イギリス王室は、なんだかんだとスキャンダルまみれの感じがしていたが、最近はウイリアムズ王子とキャサリン妃の結婚やら、王子、王女の誕生やらで、少し持ち直してきた感がある。
 
しかし、この映画の主人公のジョージ6世の兄貴のエドワードが離婚歴のあるアメリカ人のシンプソン夫人を取って、国王の座を降りてししまったあたりが、すったもんだの端緒じゃないか?
 
この映画では、シンプソン夫人はちょっといけずな女の人に描かれていたけれど、ま、成り行き上仕方がない。実話に基づいている映画なので、あまりめちゃくちゃな演出はされてないみたいだ。で、どこといって、つっこむところもあまりなかったが、名作というほどでもない。
 
ま、この王さんも子どもの時から左利きを直されたり、X脚を直されたりと、めちゃめちゃストレスを受けた末に、努力して吃音症を克服したんだなと感心したし、王妃のエリザベスもうまいこといい先生を見つけたもんだと思った。言語聴覚士の先生も、相手が王族だからといって、自分のスタイルを曲げないところがカッコよろしい。
 
それにしても、王族がお忍びで街中に出掛けていったりできたのだろうか?ま、国王になる前だったし、王族の一員といっても、皇太子でもなかったから、結構自由だったのかも知れない。ま、今ほどパパラッチもいなかったのだろう。
 
イギリスは階級社会だから、庶民階級にとっては、貴族階級は羨望の的であると同時に、嘲りや妬みの対象でもあるので、王さまもつらいよという雰囲気がよく分かった。それにしても、あの「開戦のスピーチ」は圧巻だった。あのスピーチを聞かされたら、イギリス人は、こぞって参戦を支持しただろう。
 
そもそも、イギリス人の英語は、アメリカ人のように巻き舌の早口ではないから、ヒヤリングしやすいのだが、さすがにここまでゆっくり喋ってくれる人はあまりいないだろう。それでも、DVDの特典に入っていた「終戦のスピーチ」の方は、かなり流暢になっていた(って、偉そうに)。
 
ところで、その「終戦のスピーチ」の中で、ナチスドイツには勝ったけれど、「まだ日本という粘り強く無慈悲な敵との戦いが残っている」と言っていたのを聞いて、ちょっと複雑な気持ちになってしまった。
 
英国王のスピーチ The King's Speech (2010) イギリス
出演: コリン・ファース ヘレナ・ボナム=カーター ジェフリー・ラッシュ

『時代屋の女房』は、この時代の日本映画のダメな部分がいっぱいの映画でもあった。

Padでレンタルしていた「時代屋の女房」をなかなか観る機会がなかった、というか、観る気にならなかったので、ほったらかしにしていたのだが、あと一日でレンタル期間が終了というメッセージが、iPadの画面に表示されたので、やっと観る気になったというか、観る気がないのなら、初めからレンタルしなきゃよかったものの、このままレンタル期間が終了してしまうのも癪に障るので、重い腰を上げたって訳だ。
 
この映画、1983年の製作だから、ざっと32年前になる。そんな昔の映画だったのかという感慨が一入。それにしても、夏目雅子嬢はお美しかった。当時26歳。近頃の日本の女優は、カワイ子ちゃん系が多くなって、ほんものの美人というのはあまりいない。その点、雅子嬢は、美しさがほんものという感じがした。どことなく、阿修羅像に似ていなくもない。今時の26歳の女の子にはない(と思う)気品のようなものが漂っていた。
 
主人公の時代屋の主人は、当時の私と同じ年頃の35歳だ。ま、私の周りには、謎めいた女が登場することはなかったが、あんな別嬪さんがふいに目の目に現れて、しかも何の前触れもなしに失踪されたら、普通の男なら、気がおかしくなってしまうのではなかろうか?ところがどっこい、この主人公は、あまり堪えている風ではなかった。ま、ボディブロウ気味には堪えていたようだ。
 
さらに、この男も、他の登場人物も、それぞれが事情を抱えているのだが、それぞれの事情に、あまり深入りすることはしないので、いまいち印象が、味噌の足らない味噌スープだった。飲み屋に集まる面々のうちでは、津川雅彦の喫茶店のマスターだけが、人品骨柄がしっかり構築されていた。こういう50がらみの親爺がいてもおかしくはないというリアリティーがあった。と言っても、あの役は、大阪弁にかなり助けられていたと思うけれど・・・。時代遅れの男という意味では、こちらの方がぴったりだった。
 
しかし、この時代の日本映画のダメな部分がいっぱいの映画でもあった。何より必然性が感じられないエピソード、そんな奴はいないだろと思わせるような不自然なキャラクター設定、さらに、なくてもいいんじゃないかというサービスカット、いずれも、作品としての完成度をはなはだしく毀損している。
 
原作を読んでいないので、どの程度脚色してあるのか判らないのだが、謎の女としての真弓の謎の部分をもっと描くか、時代屋の主人との不条理な関わりに重点を置いたシナリオであれば、作品としてもっとよくなったんじゃないか?飲み屋に集う面々のそれぞれの個人的事情のようなものも、もっと深堀りされるか、それをしないのだったら、カットされるべきだった。
 
監督にしても、脚本家にしても、ややこしいことは表現したくなかったのか、あるいは、雅子嬢の魅力だけを出せたらいいのだと、会社からきつく言われていたのか?
 
雅子嬢は、やはり若い女ならではの軽さと、その裏にある重さの両方を表現していた。真弓という女は、出処来歴の定かでない、架空の存在のような女、まさに男の妄想の中にしか存在しない女、いわば、「気狂いピエロ」のアンナ・カリーナみたいな、重力の影響を受けていないような女だ。
 
とは言っても、ここはフランスと違ってジャポンだ。それも1980年代初頭の日本の、しかも、トーキョーの大井だ。品川が今ほど脚光を浴びてなかった頃の大井と言えば、大井競馬場以外にイメージが湧かない。その競馬場も、まだまだ垢抜けしなかった頃だ。大阪で言えば、園田競馬場みたいなものか?そんな時代の日本人なんだから、思いの外に重いのは仕方ない。ま、存在の重さの方は、どちらかというと、一人二役の美郷の方に色濃く出ていたが・・・。
 
この年の5月4日に寺山修司が亡くなった。7月15日に「ファミコン」が発売された。10月12日にロッキード事件丸紅ルート判決公判があって、田中元首相に懲役4年、追徴金5億円の実刑判決。12月8日には、愛人バンク第1号「夕ぐれ族」というのが売春周旋容疑で摘発された。年末には、第2次中曽根内閣が発足。世相全体では、ワープロが急速に普及/東京ディズニーランド開園/NHKドラマ「おしん」ブームや「キン肉マン」人気/AIDS騒ぎと、まあ、如何にも昭和な時代だった。
 
時代屋の女房 (1983) 日本
監督:森崎東 脚本:森崎東荒井晴彦・長尾啓司
出演:渡瀬恒彦 夏目雅子 沖田浩之 中山貴美子 趙方豪 平田満 藤田弓子