『初恋のきた道』は、雪の降りしきる葬列のシーンで、思わずうるっと来てしまった。

亡くなった村の小学校の老教師の遺体を村まで担いで帰って来るシーンで号泣していた。この映画は、往年の可憐さのかけらもないしわくちゃのおばあさんになっている(もう少しかわいらしい婆さん女優にした方がよかったんじゃない・・・)主人公が村娘のころの青年教師との初恋がテーマだが、恋心のなせるワザというより、初志貫徹、不言実行、猪突猛進といった四字熟語がぴったりな彼女の一途さ、けなげさ、愛らしさ、同時に、女の一念岩をも通す頑固さ、がむしゃらさ、思いこんだら命がけさに、「かわいい顔して、よくやるもんだ」と感心してしまって、このシーンがくるまでは泣くどころではなかった。
 
◆◆ネタバレ注意◆◆さて、初恋が成就して、次は新婚生活のラブラブシーンかと思いきや、一足飛びに現在に画面がチェンジ。時移りて年老いた母の元に父の訃報を聞いて駆けつけた息子が老母の頑迷なまでの願いを叶えるべく、村の世話役に頼んで近隣の村から棺の担ぎ手を雇い入れることにしたところ、豈図らんや姉孕まんや先生を慕って近隣から多くの教え子たちが来るわ、来るわ、「どこに隠れとったんじゃ」とつっこみを入れたくなるほど集まって、かわるがわる棺を担いでくれることになった。この雪の降りしきる中の葬列のシーンで、思わすうるっと来てしまった。「なんだか無償の行為には無償の行為で報いるのが人間というものだ」という感じがした。◆解除◆
 
近年、涙腺を刺激されるのは、こういう無償の行為の場面に出くわしたときだ。世の中、悲惨な事件や事故、天災がとっかえひっかえ、ひっきりなしに起こっている。ボコ・ハラムのいたいけな少女を使った自爆テロなど極悪非道だ。テレビや新聞でそういう報道に接する度に、被害者やその家族が気の毒だと思っても、涙を流すことはない。「同情して涙を流すくらいなら金を出せ(=具体的になんらかの救済アクションを起こせの意)」と自分で自分を牽制してしまうからのようだ。どうもうれしいときも、悲しいときも、口惜しいときも、やりきれないときも、腹立たしいときにも、涙は流れないようだ。河原で転んで思いっきり捻挫したときはさすがに涙が出たけれど、真人間らしい行為に出会ったときに、感極まって蛇口が全開になるようだ。
 
映画の話に戻ると、主人公のチャン・ツィイーは、ちょっとヒラメちゃんだけれど、綿入れのようなピンクの上着ともんぺのようなパンツがもこもこしていて愛らしい。走り方はちょっと欣ちゃん走りが入っていたが、野を越え山越え、クロスカントリーの選手になれそうな快足ぶりで、あの美しい景色の中を走れることをうらやましく思った。ま、今の私には、到底あんなに長く走れっこないけれど。
 
青年教師役の俳優は、何となく民○党のすっから菅さんに似ていたが、もう少しハンサムな俳優でもよかったのじゃないか。あまり美男美女同士では白けるけれど・・・。そういえば『山の郵便配達』に出ていたお母さん役の俳優は、鄙には希なノーブルな顔立ちだった。一方、お父さん役の俳優はなんとも貧相なご面相だったので、なんとなくミスマッチな感じがして、ちょっと「カンクル~ワ」だったのを思い出した。中国の俳優、特に男優は、顔で勝負していない演技派、個性派が多いようだ。
 
というわけで、今を去る10年前に書いたブログを標準語に仕立て直して、リメイク公開っていうのもどうなんでしょう・・・?しかも、このブログはロードショウから半年程経った2番館での公開のようなもの。ま、公開後半年くらい経つと、テレビの地上波で放送されたりするから、ブログの二番煎じがあってもいいかも・・・。誰も読まないんだし。
 
初恋のきた道 THEROADHOME(2000)アメリカ・中国
主演:チャン・ツィイースン・ホンレイ、チョン・ハオ