『リバー・ランズ・スルー・イット』は、釣りのシーンだけを眺めるでもなく眺めていると、心が喜ぶ。

フライフィッシングを始めて、かれこれ40年近くになる。近頃は体力的に渓流の遡行がきつくなってきたのと、あまりにも魚が釣れてくれないので、フライフィッシングに出かけるのは極端に少なくなってしまった。というか、この4・5年は釣行していない。
 
それにもかかわらず、若い頃に高嶺(値)の花で手を出せなかったオービスのバンブーロッドをネットオークションで落札してにんまりしていたりする。当時も今も腕の方はへぼだが、30〜40年前だから、まだ魚はそれなりに釣れてくれていた。 
 
ただ、こちらはアマゴやイワナがお相手だから、あんなに大きな魚には、魚屋か水族館でしかお目に掛かったことがない。せいぜい泣き尺どまりだ。川のスケールもぐんとこじんまりしている。箱庭的な日本の景色の中でも、まさに箱庭、石組みの日本庭園のような趣の最上流域がホームグラウンドだった。
 
それでも、釣り師の気分はこの映画とまったく変わらない。ひたすらグッドコンディションの魚と出会えることを夢見て、一歩一歩、上流へ、谷奥へと入り込んでいく。喩えは変だが、出会い系サイトでひたすらメールを送り続けている「もてない君」に似たところがある。いずれにしても釣り師は大概スケベだ。つれないお魚に振られ続けても、しつこく同じ川に通い詰める。
 
この映画の時代には、アメリカでも、まだキャッチ&ストマック(釣った魚を食べるということ)が主流だったが、近頃の流行りは、キャッチ&リリース(釣った魚を逃がすこと)だ。魚がフライを見に来ただけでしっかりくわえてくれないときや合わせ損ねて逃げられたときは、タッチ&リリースと言う!?。
 
しかし、釣った魚をリリースするときの、得も言われない幸福な気分は、逃がした魚が矢のように泳ぎ去るのを見送るときの、惨めな気分とは天と地下1000メートルほどの隔たりがある。 
 
お話変わって、TVの釣り番組用語で、気にさわる言い廻しがひとつあった。それは「口を使う」という表現だ。どこかひどく下卑たニュアンスがあって、どうにも馴染めないのは、私ひとりだろうか?
 
この映画のように河原のあまりない川は、本来フライ向きとは言い難い。バックスペースがないから、映画でも兄さんの方はロールキャストを多用していた。ブラッド・ピットのキャスティングは、ラインのループが気持ち広い気がしないこともないが、まずまず。
 
この映画では、カーボンロッドに色を塗ってバンブーロッドに見せかけたらしいが、スローテーパー気味のバンブーロッドの場合は、なかなかあのようなタイトなループを作るのは難しいから、もしバンブーで、あの程度のループが作れたら、まあ合格か(何をエラそうに)。
 
ちょっとつっこみを入れると、魚を掛けて急流でもみくちゃにされながら流されていったブラッド・ピットの帽子が、手で押さえてるいわけでも、幼稚園児のようにあご紐付きでもなさそうなのに、脱げないってのはどうしてか?これまで何度も川の中で転倒して、帽子を流してしまっている身にとっては、不可解きわまりない。
 
それと、足ごしらえがどうも普通の靴っぽいのも気になる。フェルトソールのウエーディングシューズが、いつ頃開発されたものか浅学にして知らないが、ゴム底や革底では滑べりまくって、とてもじゃないが釣りにならないだろう。フェルトソールにもかかわらず、斜めになった岩にのった途端、足元をすくわれ、グニっと捻挫した痛い経験から言えば、足ごしらえは腹ごしらえと同じくらい釣り師にとって重要だ。 
 
ついでにもう一つ。釣り上げた魚の鼻先が丸っこいのも、少々気になる。レインボートラウトに限らず、野生の渓流魚は鼻先がツンととがっているものだ。流れに向かってずっと泳いでいるのだから、水の抵抗が最も少ないとんがり鼻になるのは当たり前。
 
しかるに、この映画で釣り上げた魚を互いに見せるシーンの魚の鼻先は丸かった。そこいらのリゾートホテルのレストランで出てくる養殖のレインボートラウトのムニエルなんかは鼻先が丸いから、渓流釣りをやっていない(?)監督のロバート・レッドフォードは、これでいいと思ったのかも知れないが、監督がクリント・イーストウッドだったら、オッケーを出さんかっただろう。あの爺さんもフライフィッシャーマンだから。
 
でも、まぁ、尾ビレが丸いうちわのようでなかったのはまだマシ。そういえば、以前カーター元大統領が忍野の桂川フライフィッシングをしたいとわがままを言ったとき、事前放流用に尾ビレや胸ビレの溶けてないピンシャン鱒を探すのがとにかく手間だったとか。放流釣り場が嫌いな最大の理由も、あのヒレの溶けた魚を見せられることだ。あんな魚を釣って何がおもしろいのか。
 
この映画のブラッド・ピットは、一応贔屓にしている。『ファイト・クラブ』『セブン』『12モンキーズ』『セブン・イヤーズ・イン・チベット』『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』『テルマ&ルイーズ』などの出演作も結構気に入っている。最新作の「フューリー」はまだ見ていない。『ジョー・ブラックをよろしく』は駄作だった。
 
ハンサムだが、癖のある役ばかり演じる役者としてのスタンスが気に入っている。この映画でも、いかにもブラッド・ピットらしいエキセントリックさが出ていた。なんだか役者のキャラクターが先にあって、役柄のキャラクターが後からついてきたような感じだった。 
 
映画の出来は、まぁこんなものかな。西洋賢兄愚弟物の基本パターンがベースのようだ。しかし、カメラワークは秀逸だ。深夜、ひとりで釣りのシーンだけを眺めるでもなく眺めていると、心が喜ぶ。釣りのビデオやDVDもいろいろ観たが、どうしても実技指導っぽい内容が多いので、心安らかに眺めるというわけにはいかない。ただ、この映画のDVDはチャプターをいくつかまとめてハイライトシーンを見せる構成なので、釣りシーンだけをピックアップするのに、早回しやらのややこしい段取りがいるのが、玉に瑕だ。 
 
さて、この映画を観て、フライフィッシングを始めたご仁が結構多いらしいが、映画が公開された90年代初めというのは、バブル経済が弾けたころで、日本中の川がどんどんダメになっていく時期と重なっている。いや、日本の川は、戦後の電源開発優先の国論に後押しされたダムの乱造、さらに、田中角栄日本列島改造論でズタボロにされたのだから、環境破壊はずっと以前から始まっていた。例の長良川河口堰ができたのは1995年だが、河口堰のために長良川は激変してしまった。天然遡上鮎がほとんどいなくなった。最近では放流鮎に依存ないと、鮎釣りにならない。その放流鮎も冷水病で全滅することしばしば。サツキマスも数が激減した。日本中の川で着実に変化が起こっている。それも悪い方への変化が。 
 
アメリカのフライフィッシング事情はよく知らないが、日本では、フライマンは自然渓流を諦め、放流釣り場に出かけているそうだ。何ともお寒い状況ではないか。映画の話から素寒貧な日本の釣り場の話に大きく脱線してしまったが、この映画のようなナチュラルな川を夢想して日本の川に出かけると、ことごとく期待を裏切られるということだけは請け合える。
 
地球規模での環境破壊がこのまま続くと、人類は後2〜30年で絶滅の危機に晒されるるという説もあるくらいだから、今のうちに見逃した映画をDVDでせっせと見ておこと思う今日この頃だ。
 
リバー・ランズ・スルー・イット RIVER RUNS THROUGH IT.(1992)アメリカ
出演:ブラッド・ピット、クレイグ・シェファー、トム・スケリット