『デッドマン』は、「ええっ、何すんのん?」の連続だった。

開拓時代の西部を舞台にしているが、この映画を異色ウエスタンと片づけるには変わりすぎている。ほとんどカルト教団のプロモーションムービーだった。少なくともその手のにおいがぷんぷんしている。この映画の世界に引き込まれるような連中が、あの教団にも引き込まれたのではないかという感じがしてならない。別にこの映画がいけないというのではないのだが。 
 
◆◆ネタバレ注意◆◆のっけからカフカ的状況に放り込まれて当惑する主人公ではある。主人公の当惑が観ているこちらにも伝染してくるという仕掛けだ。はるばる西部の、たぶんそれもかなり北部の(夢のカリフォルニアの太陽燦々とは大違いのじめっとして陰気くさい)町までやってきた主人公ウィリアム・ブレイクは、ひょんなことでその町を牛耳っている会社(ここらはほとんどカフカの『城』の雰囲気)の社長の息子を殺してしまう。
 
お尋ね者になったウィリアム・ブレイクをこれまたお定まりの3人の賞金稼ぎが追いかけてくる(中の一人が半端じゃない異常性格者だ。この男を主役にしても、ホラー映画の1本や2本作れそうだ)のだが、別にこの追っかけが映画のメインストリームではない。
 
ウィリアム・ブレイクはノーボディと名乗る不思議なアメリカ先住民の男に助けられる。その男は彼の胸から銃弾を取り出すのを途中でやめてしまうものだから、正確には助けられたワケではない。何とか死なずにいるといったところだ。この状態が『デッドマン』というタイトルをつけた理由だろう。
 
主人公はその大仰な名前のおかげでこの男に気に入られるのだが、かなり監督のご都合主義がかいま見える。アメリカ先住民(インディアンといった方が手っ取り早いけれど)の男の経歴がまたとんでもなくて、まるで大黒屋光大夫かジョン万次郎のような前半生を経験していて、しかもウィリアム・ブレイクの詩まで読んだことがあるという結構なインテリだったりする。(そんなバナナ。実話だというのなら無理矢理納得させられるけれど)見ず知らずなのに傷の手当てはしてくれるし、妙なイニシエーションはするし、はっきり言って、一方が圧倒的に他方を支配する、こういった関係性は危なすぎる。次は壺買わされるぞ。 
 
さて、そろそろどうこの話終わらせるつもりだと思いはじめた頃に、主人公が死んだ子鹿と並んで横たわってる例のシーン(DVDのパッケージにあった)が唐突に出てきた。「ははん、これで画面が暗くなってエンドロールがでてくるんだな」と思いきや、なんと今度は補陀洛渡海になった。ここまで来ると、もう「ええっ、何すんのん?」状態。ジム・ジャームッシュもとんでもないところまで行くなぁ。洋の東西を問わず、魂のようなものをテーマに取り上げると、こんな結末になるのかねぇ。◆解除◆
 
この映画の伴奏はニール・ヤングの即興演奏だそうだが、ギタリストの即興演奏だけだと安上がりではあるが、いかにも同人誌的な感じだ。
 
ジョニー・ディップは、エキセントリック係数でいったら、竹中直人と同系統の役者だね。 鳩が豆鉄砲食らったような顔をしている。それにしても、近頃売れすぎている。いくら稼げば気が済むの!
 
 
デッドマン DEAD MAN(1995)アメリカ
出演:ジョニー・ディップ、ゲイリー・ファーマー、ロバート・ミッチャム