『ノー・マンズ・ランド』の事態を悪化させたのは、悪魔の兵器といわれてる地雷だ。

ボスニア軍とセルビア軍が睨み合っている「ノー・マンズ・ランド」と呼ばれている中間地帯の、そのまた真ん中の塹壕に取り残されたボスニア軍兵士のチキとツェラとセルビア軍兵士のニノの3人が主要な登場人物だ。この映画のセルビア軍側は装備もわりにきちんとした正規軍で、クロアチア人主体のボスニア軍側はどうも民兵組織のようだった。何しろ、チキは「舌だしミックジャガー」のTシャツを着ていたりする。スニーカーを履いている兵士もいた(死んでいたが)し、気の毒なツェラも普段着っぽかった。
 
もうひとつ、この映画では言葉が重要なファクターだ。二人の兵士(チキとニノ)は、どちらもセルビアクロアチア語を喋るから、コミュニケーションは一応とれる。サッカー選手のフィーゴ似のチキは、多分サラリーマンではないだろう。トラックの運ちゃんといった感じだ。もうひとりのニノは、すぐ握手しようと手を出すところをみても、平生は結構気のいいにいちゃんだったと思う。
 
一時は共通の知り合いの女性の話で盛り上がったりもするのだが、お互い相手の立場を理解しようという気は毛頭ない。隙あらば、相手より有利な立場に立とうとする。「仲良きことはよき哉」なんて平和呆けしたことを言っている日本人には理解できない確執があるのだ。戦争と地域紛争は違うものらしいが、やっていることは、どちらも人殺しやら強姦やら略奪やらの極悪非道な行いだ。しかも、やられるのは自分の身内や友だちだったりする。近頃のイスラム過激派の少女を使った自爆テロのような悪行三昧も相当に酷いが、この当時のボスニア・ヘルツェゴビナ紛争も目を覆うような残虐行為が日常茶飯事だったようだ。ただ当時はインターネットが普及していなかったから、人質の斬首シーンの動画が瞬時に世界中を駆け回るようなことはなかった。
 
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争のことは、恥ずかしながら認識不足だったので、Sarajevo Football Project( http://www.fkkrilo.org/bih/bihwar.html )というサイトから引用させてもらった。このサイト、既に閉鎖されていた。
 
ボスニアヘルツェゴビナ(以下ボスニア)は1992年、それまで属していたユーゴスラビア連邦(以下ユーゴスラビア)より独立して成立した。ヨーロッパとアジアを結ぶバルカン地域は、中世よりイスラム国家であったオスマントルコカトリック国家であったハプスブルグ帝国などの支配を代わり代わりに受け、その過程で様々な宗教、民族が入り混じり、第2次大戦後に成立したユーゴスラビアは、「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国家」という表現に示される複合的な国家となった。
 
ユーゴスラビアは北から、スロベニアクロアチアボスニアセルビアモンテネグロマケドニアの6つの共和国により構成されていた。ボスニア以外の各国は各国を構成する最大多数の民族名を国名としていたが、ユーゴスラビアの中間に位置するボスニア多民族国家ユーゴスラビアの中でも最も民族が混住していた地域であり、民族名ではなく地域名を国名としていた。(中略)
 
サラエボを首都とするボスニアムスリム人(イスラム教を母体とする旧ユーゴ独自の民族)、クロアチア人セルビア人の混住地域であり、三者とも南スラブ系の民族であってほぼ同じ言語のセルビアクロアチア語を使っており、違いといえばイスラム教ムスリム人)かカトリッククロアチア人)かセルビア正教セルビア人)かといった宗教の相違だけであった。(中略)
 
ボスニア紛争では、ムスリム人、セルビア人クロアチア人のそれぞれの勢力が領域拡大を目指して衝突を繰り返した。他民族の自己領域からの排除のため、「民族浄化エスニック・クレンジング)」と呼ばれる追い出し政策をそれぞれの民族が推し進めたため、難民・避難民は総人口の半分を超える250万人近くにまで達した。敵対民族を根絶やしにする目的で「集団レイプ」が組織的に行われ、「強制収容所」に敵対民族を連行・虐待していたことなどは欧米諸国でも報道され、世間を震撼させることとなった。(中略)
 
首都サラエボセルビア人勢力により包囲され、陸の孤島と化した。一番の目抜き通りであるチトー将軍通りは「スナイパー通り」と称され、スナイパーによる狙撃の恐怖に絶えずさらされながらの生活を市民ひとりひとりが余儀なくされた。市場も砲撃され、買い物に来ていた多数の一般市民が犠牲となった。1984年にサラエボオリンピックが開催された会場も破壊され、スタジアムは墓地へと変わった。ボスニア国立図書館も砲撃を受け、貴重な蔵書はすべて灰燼と帰した。
 
ボスニアに対して、国連は1992年6月に国連防護軍を派遣し、孤立するサラエボに援助物資が届けられることとなった。(後略) 
 
と、こういう経緯があったのだが、この映画は、その1年後の1993年6月頃の話だ。
 
◆◆ネタバレ注意◆◆事態を悪化させたのは、悪魔の兵器といわれている地雷だ。戦闘で死んだ敵側の兵士の体の下に地雷を仕掛け、その遺体を収容しに来たときに、遺体もろとも敵をぶっ飛ばすという底意地の悪い計略というか、人でなし戦法をとったのだが、死んだと思っていたツェラが気絶していただけだったことが、ニッチもサッチモいかない最悪の事態を作りだしてしまった。こんな非人道的な地雷があるのか、ないのか、よくは知らないが、地雷のフタにされてしまったツェラが、気の毒だった。トイレにも行かない。雪隠詰め以上の出口なし、八方塞がり状況だ。
 
こういうシチュエーションでは、なんとかして助け出してやるのがアメリカ映画のセオリー(?)だろうが、さすがというべきか、この映画はハリウッドものではないから、そんな甘っちょろい感動ストーリーではない。国連防護軍のフランス人軍曹が右往左往したり、ドイツ人が約束通りの時間に来たり、イギリス人(?)司令官が美人秘書を連れてヘリで視察に来たり、アメリカ人のTVレポーターがうろちょろしたりはするのだが、なんの役にも立たない。国連明石康さんも、この当時はまだ旧ユーゴ問題担当・事務総長特別代表になってなかったみたいだ。◆解除◆
 
そう言えば、その明石さん、「1999年4月には自民党公明党の支持を受けて東京都知事選に出馬したものの、石原慎太郎に大差で敗れ当選には至ら(Wikipedia)」ず、表舞台から退いた感がある。
 
ドタバタ喜劇のような、厳粛な悲劇のような展開が続いて、エンディングになだれ込むのだが、それにしても、キツいエンディングだった。合掌
 
ノー・マンズ・ランド NO MAN'S LAND (2001) フランス/イタリア/ベルギー/イギリス/スロヴェニア  
監督:ダニス・タノヴィッチ 
出演:ブランコ・ジュリッチ、レネ・ビトラヤツ、フイリプ・ショヴァゴヴイツチ、カトリン・カートリッジ、サイモン・キャロウ、ジョルジュ・シアティディス