『パリ、テキサス』は、てっきりパリからテキサスまでの長い旅路の物語だと思いこんでいたら大違いだった。

今回はロードムービーのもう一方の雄、ヴィム・ヴェンダースの『パリ、テキサス』だ。ありゃ、これ西洋股旅物と違うの?この題名にだまされて、てっきりパリからテキサスまでの長い旅路の物語だと思いこんでいたら、大違いだった。タイトルをよく見ると『Paris, Texas』と書いてあるではないか。
 
テキサスリーガースヒットといえば、セカンドの頭をふらふらっと越えたぽてんヒットのことだが、この映画は、センター大和(昨シーズンのタイガースはう大和が獅子奮迅の活躍だった)が3塁走者のバックホームに備えて、たまたま前進守備をしていたから、定位置ならノープロブレムのセンターフライのはずが大和の頭を越えて、逆転さよならになったみたいな映画だった。
 
まあ、どんな映画もシチュエーションは普通でないというのは仕方がない。あまりにも普通のシチュエーションではドラマが起こり得ないだろうし、観客の方にも、多少は怖いもの見たさとか、他人の不幸に対する覗き見趣味があるのは否めない。
 
この映画もとんでもないシチュエーションだった。映画を観ているときは、なぜこの男が息子と嫁さんを捨てて4年間も放浪していたのかが理解できなかった。生きていたのが不思議なくらいだ。生きることにまったくといって意欲が感じられない。初めのうちはものも言わないし、食事も摂らない。映画を見終わっても、未だによく分からない。こういう謎解きのような導入の映画はよくあるが、この映画は、この謎に関しては最後まで放置されたままだった。
 
現実社会に帰ってきた男が、息子とのコミュニケーションを取り戻すまでは、それなりにほほえましい感じで映画は進んで行く。その後、捨てたはずの元嫁の居場所が見つかりそうだとなると、息子を連れて会いに出かけるではないか。世話になった弟夫婦に律儀に断って、車とクレジットカードを借りて行くところは、演出が荒っぽなくてよい。この辺を端折った映画がよくあるじゃないか。しかし、そんなにまでして会いに行くくらいだったら、元々捨てたりするなというのが率直な感想だ。
 
◆◆ネタバレ注意◆◆ 4年ぶりで見つけた元嫁は、ビックリ仰天、覗き部屋の女になっていたというとんでもない展開だった。アメリカの覗き部屋というのは日本のそれとどう違うのか?浅学にしてよく知らないが、この映画で見る限り、女の子のいる部屋は日常的なあっけらかんとした空間になっている。ここのとこは、もう少しお下品にした方がよかったんじゃないかな。。。
 
ここのシステムは、電話を通じて女の子にリクエストを伝えられるらしいが、元夫が話していても、元嫁は最初元夫と認知できていないようで、しかし、いくら4年前に失踪した元夫であっても、普通は声を聞いたらすぐにピンと来るだろうと、思わず画面につっこんでしまった。ま、客のプライバシー保護のため、声を変調してあったりしたのなら仕方がないが・・・。それとも、分かっていながら分からぬ素振りという高等テクニックを使っていたのかも・・・。
 
いろんな場面で、赤をさりげなくでもなく、結構見え見えに出すという手法はそんなに驚かないが、(『ツインピークス』の最後の方で、真っ赤な部屋が出てきたときにはさすがに驚いた)映像は全体的に乾いているのにカサつかないといった感じ。カメラワークでわざと観客を突き放したりはしない。後半の覗き部屋でのダイアローグはかなりいい感じだった。
 
サム・シェパードの脚本らしいが、元嫁と再会する場所として、このシチュエーションを見つけたことが、この映画を何とか映画として成立させる必要条件だった。(ここでやっとセンターの頭を越えたという感じ。これがなかったら、変な映画のまま終わっていただろう)特にナスターシャ・キンスキーがすこぶるいい感じだ。こんな稼業をしていても、いくらかすさんだ感じはするけれど、最低限の節操は保っているようで、毎夜、星の流れに身を占っているかいないかは知らないが、落ちるとこまで落ちたという捨て鉢な感じはしなかった。
 
ナスターシャ・キンスキーは、いささかエキセントリックな感じがするが、(上目遣いで見られると、ゾクゾクとしてしまう)こんなにいい女を捨てる男がいるか?とまたしても思ったのは、果たして私ひとりだろうか?◆解除◆
 
ライ・クーダーのスライド・ギターがBGMになっていて、これはなかなかいい味を出している。文句なしにグッド。
 
パリ、テキサス PARIS, TEXAS(1984)フランス・西ドイツ