『勝手にしやがれ』は、55年もののヴィンテージだが、どこも腐っていなかった。

ジャン=リュック・ゴダールの長編商業映画デビュー作だ。この映画を初めて観たのは、多分1970年前後じゃなかろうか。どこかの名画座だった。ゴダールの名声は映画好き青少年の間では、神様のような存在として定着していたが、ゴダール本人はさらなる革命的映画の方にずんずん突き進んで行って、この映画のような分かりやすい映画はその頃すでに撮っていなかった。
 
当時は『アルファヴィル』『中国女』『ウィークエンド』などが立て続けにATGで公開されていたので、リアルタイムに観ていたように思う。そして、『東風』に至って、まったくワケが分からん映画になってしまった。その後は、あまり熱心な観客とは言えない。ヌーベルヴァーグに代わって、『俺たちに明日はない』『イージーライダー』『真夜中のカウボーイ』『明日に向って撃て!』など、次々と公開され始めたアメリカン・ニューシネマが、分かりやすい反体制映画としてお客をゲットし始めていたからだ。それでも、まだヨーロッパ映画を観ていた方だと思うが、ゴダールはさすがに敬遠気味だった。
 
しかし、この『勝手にしやがれ』と65年製作の『気狂いピエロ』の2作品は、まさに疾走する青春の光と影というか、「人生は死ぬまでの暇つぶし」というか、「僕は二十歳だった。これが人の一生で最も美しい年齢だなどとは誰にも言わせまい(by ポール・ニザン)」といった感じのフランス・ヌーベルヴァーグの代表作だ。ただ、当時はレンタルビデオ屋もDVDもなかったから、こういう映画は一旦見逃してしまうと、なかなか観るチャンスがなかったのだ。
 
2作ともジャン=ポール・ベルモンドが主演。『勝手にしやがれ』の方はジーン・セバーグ、『気狂いピエロ』の方はアンナ・カリーナがお相手だ。ウブな青少年は、タイプの異なるふたりの女優の魅力にぽーっとなってしまった。
 
ジーン・セバーグの役柄は、ソルボンヌに留学しているジャーナリスト志望のニューヨーカー。いかにもアメリカの良家のお嬢さん風だった。この映画の頃は、まだヒッピームーブメントはなかったが、10年遅ければ、きっとヒッピーになってそうな女の子だ。当時パリに留学することは、日本人にとっては相当ハードルが高かったが、アメリカ人の場合はどうだったのか?なにしろ1ドル360円の時代で、男子大学生がバイトしても、肉体労働の場合で日給700円~800円が相場だった。そりゃまあ、よっぽど金持ちのぼんぼんかお嬢ちゃまでない限り、パリに留学するなんぞ夢のまた夢だった。
 
ジーン・セバーグはアメリカ生まれなんだが、この映画の2年前の57年にフランソワーズ・サガン原作の『悲しみよこんにちは』に、主人公のセシル役ででているから、ヤンキー娘というよりはパリジェンヌっぽい。
 
一方のアンナ・カリーナは、どこかイケズの京女に通じるところがある、これぞフランス女、パリジェンヌの典型(とず~っと思いこんでいたけれど、ネットで調べたら、生まれはデンマークコペンハーゲンみたいだから、フランス人でもパリジェンヌでもなかった)かわいらしいジーンちゃんのようなアメリカ娘と悪女っぽいアンナちゃんのようなフランス娘のどちらが恋人として理想的か?あの当時、頭を悩ましたものだった。
 
この映画のジャン=ポール・ベルモンドは実にハマり役だった。顔は猿顔だが、身のこなしがいかにもフランス野郎という感じで決まっていた。こちらはパリ生まれだから、バリバリのパリジャンだ。かなりヤバそうな奴、頭の配線がキレている奴、デスペレートな若造を演じさせたら天下一品だった。あんな風にタバコをくわえ、あんな風に街を歩き、あんな風に女をくどくのがフランス野郎なんだと、若気の至りで真似をしてみたものの、なかなかあんな風には行かなかった。ま、当たり前だが・・・。
 
今回、ほぼ40年ぶりにDVDで観たが、まったく腐っていなかった。製作時点からすると55年もののヴィンテージだ。モノクロだけど、それも賞味期限切れの感じはしない。さすがに『天井桟敷の人々』は、思いっきり賞味期限が切れていたが。。。
 
ベルモンドは相変わらずいかれた自動車泥棒だし、ジーンちゃんも相変わらずヘラルド・トリビューンを売り歩いているし、はじめのうちは、友人が撮った昔のプライベートフィルムを久しぶりに引っ張り出して観ている感じがした。町中を走っている車はどれも丸っこく、いかにもフランス車。刹那的、退廃的に生きている、思慮の足りないアンファン・テリブルが破滅的なエンディングに向かって突き進んでいく青春映画として、最高の出来だった。ゴダール自身が密告する男の役で出演しているとは知らなかった。あんたが国家権力に協力する側に立ってどうするんだ、とついつっこんでしまった。
 
この映画の原題はA BOUT DE SOUFFLE(息のかけらで=虫の息)とゆーらしいが、それがなぜ『勝手にしやがれ』なんだ?ベルモンドが盗んだ車を走らせているときに、「山が、海が、街が嫌いなら、勝手にしやがれ」とほざく台詞の字幕があったが、DVDのパッケージにまで書いてあるけど、あれってどう考えても意訳っぽい。ホントはなんと行っているのか?どなたか教せーて。 
 
あの頃、ジャン=ポールの後になんと続くかと聞かれたとき、一般人はベルモンドと答えたが、分かりもしないのに、実存主義哲学やらフランス文学やらを囓っていた若造は、サルトルと答えたものだった。 「だから何なのさ」とつっこまれても、返す言葉はないが。。。
 
勝手にしやがれ A BOUT DE SOUFFLE (1959)フランス