『フェリーニの8 1/2』は、いわば私小説の映画版、私映画になっているところがミソだ。

なるほど、この映画の前に監督した映画が8本と半分(共作が1本あるので、それを1/2とカウントしている)あったから、この題をつけたのか。洒落たことをするもんだ。
 
この作品は、フェリーニの最高傑作と言われているが、DVDを観ているうちに、てっきり見逃していたと思ってたのだが、どうもどこかで観たことがあったのを思い出した。フェリーニの映画を見始めた頃には、すでにこの監督、巨匠を通り越していた。多分ロードショウで観たのは、『サテリコン』あたりからだったような気がする。。。
 
この映画、構造的に非常にややこしいことになっている。つまり、架空の監督が架空の映画を製作するに当たって、俳優のキャスティングやら、なにやらで悩んでいるという設定で、架空の監督役のマルチェロ・マストロヤンニが、そこいら中を悩ましげにうろつき回る。それにしても、何故に温泉療養施設にまで関係者がわざわざ来たりするのか?しかも、愛人と嫁さんまで呼びつけるのは、どういうことか。
 
架空の監督というのが、現実の監督のフェリーニとダブらせてあって、いわば私小説の映画版、私映画になっているとこがミソだ。ところが、この私映画には、もうひとつ、監督の少年時代の夢の場面が随所に挿入されるから、どれが架空の監督の現実で、どれが架空の監督の夢で、どれが現実の監督の現実の焼き直しで、どれが現実の監督の夢の映像なのか、しっかり観ていないとワケが分からなくなる。
 
クラウディナ・カルディナーレの役どころも、いまいちよく分からなかった。それにしても若い頃のクラウディアは、驚嘆するくらいキレイだ。 
 
◆◆ネタバレ注意◆◆架空の監督の悩みを描き出す、現実の監督の手腕は相当なもので、こんなにややこしいけれど面白いストーリーを作れるのだから、現実の監督は別に悩まなくてもいいんじゃないと思うのだが、前作の『甘い生活』の支離滅裂ぶりを知っている(この映画は大女のアニタ・エグバーグが出てるシーンだけが見物だった)観客としては、やはり映画監督は巨匠と言われても、晩年の黒澤しかりで、あまり訳の分からない作品を作ってはいけないと、妙な感慨があった。
 
アカデミー外国映画賞やらカンヌ映画祭で受賞しても、映画館に客が入らないことにはどうにもならない。しかも、客が途中で寝てしまう映画ではダメでしょ。ここら辺が芸術系映画監督の難しいところかも。 
 
すったもんだの末、「人生は祭りだ(=死ぬまでの暇つぶしだ)」という境地に達するところが、すっごく気に入った。映画が動く絵画(=芸術)と言えるとしたら、ひとつひとつのシーンがまさに絵になっている、こういう映画だろう。◆解除◆
 
フェリーニの8 1/2  8 1/2(1963)イタリア 
出演:マルチェロ・マストロヤンニ、アヌーク・エーメ、クラウディア・カルディナーレ、サンドラ・ミーロ