『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』は、ディカプリオの若作りが異様に決まりすぎいて、気持ち悪かった。

日本人に限らずアジア系(モンゴロイド)は、欧米人に比べて若く(子供っぽく)見られがちだが、あれは、モンゴ
ロイドは脳の前頭連合野が未熟なままで生まれてくるからだという話を『平然と車内で化粧する脳(2000年9月扶桑社刊)』で読んだ。
 
この本の中で、なぜ日本の若い者が、町中で人目も憚らずいちゃいちゃしたり、電車の中で化粧したりと、恥知らずになってしまったのかについて、「脳の前頭連合野の発達障害が原因の一つ、しかも、日本人には脳の機能障害を起こすもっと大きな根本的な理由があって、それは日本人を含むモンゴロイドは欧米人などに比べて『ネオテニー』と呼ばれる幼形成熟が進んでいて、未熟な脳を適切なしつけや教育で育てていかなければうまく成熟できない。にもかかわらず、戦後の日本社会がそれをしっかりやらなかった結果、周りの目を気にしたくても、できない若者を作ってしまったのだ」と。まぁ、思わず話に引きづり込まれてしまいそうになる面白さなんだが、ここは映画の話をするところだから、この話は措いておいて・・・。それにしても、既に15年前には、電車の中で化粧する恥知らず女が跋扈していたとは・・・。
 
で、アメリカ人同士でも、実際の年齢より若く見られる人と老けてみられる人が当然いるだろう。この映画の主役、レオナルド・ディカプリオなどは、童顔だったから若く見られる方の代表だろう。しかるに、この映画の主人公は16才の時に20才以上に見られるくらいに老け顔だったのではなかろうか?ということは、ディカプリオは、若作りして主人公を演じるのではなく、老け作りして(あるいは年齢相応で)演じた方が実状に即してたことになるのでは?つまり、ディカプリオの若作りが異様に決まりすぎていて、気持ち悪かったってことなんだが、今を去ること13年前の公開だから、1974年生まれのデカプリオは28歳くらいか。最近は結構渋さが加わって、いい感じになってきた。
 
一方のトム・ハンクスは、『ロード・トゥ・パーディション』のインテリやくざ役はちょっとカンクル~だったが、今回のFBI捜査官はハマリ役だった。やはり役人顔をしてるのだ。
 
◆◆ネタバレ注意◆◆実際のところ、16才の高校生がいくら芝居がかっていても、パイロットや医者に見えるだろうか?人はついつい制服に目がいって、信じ込んでしまうと言っていたが、よほど自信に満ちた話しぶりだったのか?あっさりナンパされた女も、肌の艶とか張りで、10代と20代の違いくらいは分かったんじゃないか?とまぁ、何となくやっかみ半分でそう思たのだが、やはり騙されたんだから、おどおどした10代のハナタレ小僧には見えんかったのだろう。◆解除◆
 
スピルバーグは『A.I』ではスベリまくったが、この作品はまずまずの出来だった。ただ、後半はかなり飛ばしすぎて、筋を追っかけただけのようにも思われる。もう少し汚い詐欺師の影の部分を見せてもよかったんじゃないか。なんだか、かわいらしいだけのアイドル映画のようにも思えたのは、果たして私ひとりだろうか?
 
実話に基づいてるので、さほど事実をねじ曲げて表現できなかったのかも知れないが、詐欺師やペテン師の映画の場合は、詐欺の手口をもっといろいろと見せて、騙される側の間抜け面をした面々も、もっと出してもらわなないといけない。この映画では、詐欺師の主人公を両親の離婚で傷ついたかわいそうな男の子として描きすぎたきらいがある。16才から21才までの5年間に400万ドルを詐欺し、世界中の飛行機をただ乗りしまくったのだから、かなりのワルだし、危ない橋を渡ったことも再三あっただろう。その危機一髪シーンが、もう少しあってもよかったんじゃないか。 
 
1960年代というと、アメリカがもっとも豊かだった時代とも言える。確かにベトナム戦争の影もあったが、湾岸戦争、3.11テロからアフガン戦争、イラク戦争後のアメリカよりは、すべてにおいて社会が大らかだったろう。だから、こんなガキのペテンにまんまとひっかかったのだ。後半はこの元少年詐欺師、成人後は小切手偽造犯としての腕を上げたから、いずれにしても、かなり切れ者だったことは確かみたいだ。
 
それにしても、我が国では、おれおれ詐欺の手口が巧妙に進化(?)して、年寄りからなけなしの金を巻き上げる詐欺師が横行しているが、同じ詐欺でも、「浅田次郎先生の『天切り松 闇がたり』に出てくる『書生常次郎』くれぇの詐欺をやってみろってーんだ」と何故かベランメー調になってしまう。
 
 
キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン (2002)アメリカ Catch me if you can.