『ジョンQ-最後の決断-』の最後の決断は、ぶっ飛びすぎじゃないかと思う。

確かにまじめに働いていたのに、会社の勝手な都合で医療保険の保障のランクを落とされて、「お子さんの心臓移植手術は、あなたの会社が加入している保険ではできません」と言われたら、途方に暮れるな。アメリカは医療費がべらぼうに高い。しかも、公的な医療保険制度が整備されていないから、会社とかがきちんとした医療保険に入っていてくれていないと、おちおち風邪も引けないらしい。
 
◆◆ネタバレ注意◆◆ 万策つきて、このお父さんがまず決断したのは、病院ジャックというか、医者や看護士、患者を人質にとっての立て籠もりだった。しかも、それが最後の決断ではなかったいうところがミソだ。この最後の決断、ぶっ飛びすぎじゃないかとは思うけれど・・・。◆解除◆ 
 
かなり前に、なけなしの金をつぎ込んで軽貨物のトラック便かなにかの仕事を始めた男が、募集広告のうたい文句のようには儲からず、借金だけが残って、嫁さんに離婚届を渡してから、その足で会社の支店に行き、ガソリンをぶちまけて立て籠もり、結局ガソリンが爆発して支店長を道連れに死んでしまった事件があったように記憶しているが、あの事件は、何ともやるせない気がした。追いつめられたら人間何をするか分からないのは、洋の東西を問わずに同じだ。
 
◆◆ネタバレ注意◆◆ところが、この映画の場合は、マスコミを通じて、監禁されている患者さんの間にも、国民にも、犯人への共感が次第に生まれ、そこへもってきて、ご都合主義的、予定調和的に話が運んで、最後は、そりゃないよのエンディングだった。このお父さんの子供を思う気持ちは痛いほど分かるが、やはり主人公はもっと別の方法を模索すべきだったのじゃないかと、観客に思わせるような終わり方は、なかったのかな?◆解除◆ 
 
この手の映画は、犯人に感情移入しやすいように作ってあるから、どうしても犯人を贔屓にしてしまう。犯人役がどこから見てもワルには見えないデンゼル・ワシントンだから尚更だ。(『トレーニング・デイ』ではうまく先入観を覆してくれたけれど)これでいいのか悪いのか、よく考えないといかん・・・。 
 
ストックホルム症候群というらしいが、拘禁状態が長引くと、犯人と被害者双方に心的相互依存とでもいうべき感情が湧き、「被害者が犯人に、必要以上の同情や連帯感、好意などをもってしまうこと」があるらしい。この映画では、患者はもちろん、医者も犯人に同情してしまう。映画を観ている観客も一緒になって同情してしまう。といっても、ソファに寝ころんでDVDを観てるのだから、別に銃で脅されているワケではないけれど・・・。
 
しかし、簡単に犯人に同情して犯罪事実を許してしまったら社会秩序が保たれない。日本人はどちらかというと情にほだされやすい傾向があるから、情状酌量でついつい犯人を許してしまう。罪を憎んで人を憎まずというのは、いまどきの凶悪犯罪ではきれいごとに過ぎる。子供も女も男も無差別に殺されている。こんな犯罪者に同情できるだろうか?日本では、被害者の人権が蔑ろにされ過ぎだという指摘があるが、犯罪者に対する精神的支援も必要だろうが、被害者救済の方がもっと大事じゃないかと思う。
 
この前観た『デッドマン・ウォーキング』の尼さんは、宗教的な博愛主義が動機だから、死刑囚の肩を持っても、なんとなく納得させられたような気になっていたが、あの池田小学校の児童殺傷事件の死刑囚にも、獄中結婚してまで支えたいという女がいたらしい。結婚したら身勝手過ぎるあの死刑囚になにかメリットがあるのか?何故そんなことをするのか、さっぱり理解できない。 
 
原題は『John Q』だけなのに、邦題では『ジョンQー最後の決断ー』になっている。最後とか究極とかが付いていると、とんでもなく大変なことが起こるように思うからか?「地獄の決断」だったら、女の子は誰も観に行かないだろう。泣ける映画だという人もいるが、私は泣けなかった。泣いたら済むという話ではない。
 
ジョンQ-最後の決断-(2002)アメリカ John Q. 
監督:ニック・カサベテス 
出演:デンゼル・ワシントン、ロバート・デュバル、アン・ヘッチ