『イン・ザ・ベッドルーム』は、ポルノチックなラブストーリーかと勘違いするが、まったく正反対だった。

このタイトルで、このDVDパッケージだったら、ポルノチックなラブストーリーかと勘違いするが、まったく正反対というか、お色気なし、オフザケなし、踊りなし、(ただし、歌少しあり)、スリルなし、サスペンスなし、どんでん返しなし、なし、なし、なし、なにもなしの映画だった。何故こんな映画がアカデミー賞にノミネートされたのか・・・。
 
アメリカの刑事訴訟法では、カッとなって殺してしまった場合は「故殺」、計画的に殺したら「謀殺」と区別されるらしい。「謀殺」には第一級と第二級があり、第一級なら死刑、第二級なら終身刑となる。それが「故殺」なら5年くらいの量刑だ。なにしろ護身用とはいえ、誰もが銃をもっている銃社会だから、ついカッとなってズドンで、正当防衛が認められない場合、全員終身刑では、刑務所が囚人であふれかえってしまうだろう。
 
◆◆ネタバレ注意◆◆別れ話がこじれている元嫁の家に、ピストルをもって押しかけたら、元嫁と現在つき合っている男を殺すなり、怪我をさせるなりの意図、つまり殺意が最初からあったはずだ。それが、元嫁のあやふやな証言が理由(?)で、計画性のない殺人、つまり、カッとしてぶっ放したという「故殺」に格下げ(?)されてしまった。
 
しかも、息子を殺した犯人がその地域を牛耳っている有力企業のオーナー一族の一員だったので、判決が出る前に保釈金を積んで釈放されてしまった。もちろん、証拠隠滅や逃亡の恐れがないことが前提らしいが。アメリカは、殺人犯でも釈放されるところがすごい。それでも、息子を殺した相手が、町中を大手を振って歩いているのにばったり出くわすなんて、そんはバナナ!と思った。 
 
で、「そんな野郎は許せねぇ」と、殺された息子のオヤジが仇討ちに行くワケだ。普通なら、ここからドラマが盛り上がらなければいけないのだが、ビックリするようなことはも何も起こらない。この男、逃げようとも、返り討ちにしたろうともしない。あっさり撃たれてしまった・・・。◆解除◆
 
この映画は、犯罪被害者の家族の気持ちをストレートに表現したともいえる。出来るものなら自分の手で、憎い犯人をぶち殺してやりたい。最愛の人間を殺されて、心が空っぽになってしまったら、そう思うのは当たり前だろう。通常は被害者の家族が、簡単には犯人に接触出来ないように法律がガードしている。しかし、よりによって、その法律によって犯人が釈放され、目の前をうろちょろされたら、理性もなにもかも吹っ飛ぶに違いない。この父親を素朴な漁師の男なんかにせず、インテリの代名詞のような医者にしたのも、そういう意図があったのだろう。
 
◆◆ネタバレ注意◆◆それにしても、仇討ちが終わった後もこんなにスカッとしない話は珍しい。映画の仇討ちもの(リベンジ・フィルム)は古今東西いっぱいある。この前の『レオン』もそうだが、どんなかたちであれ、憎いカタキをやっつけるところが映画の最大のカタルシスなんだ。被害者の家族の復讐を正当化するのだったら、現実の社会システムの中での新しいやり方というか、新しいパターンのリベンジのカタチを提示するのが、映画監督の責務じゃなかろうか。ここまでストレートでは、ひねりがなさ過ぎる。◆解除◆
 
多分この映画は、原作の小説に忠実に作ってあるのだろう。小説の場合は、どちらかというと、登場人物の心の襞に分け入った心理描写に重点が置かれる。ストーリー的には、あっさり相手を殺しても、読者はそんなにあっけない感じは、しなかったんじゃないだろうか。
 
原作のタイトルは「KILLINGS」や。殺しの複数形。殺人が次の殺人を呼び、さらに次の殺人へと、連鎖反応が繰り返されていくアメリカの銃社会の現実を象徴してるのだろう。こちらのタイトルの方がよかったような気もするが、「In The Bedroom」にも、ダブルミーニングがあるのかも知れない。
 
当時のアメリカ政府というか、ブッシュ大統領は、ビン・ラディンへの復讐を誓って、テロ撲滅を掲げた復讐戦を延々続けていた。どうもアメリカ人の腹の底には、やられたらやり返せ、復讐は正義だの考えが根強くあるようだ。でないと、何故この映画が、この時期(911の翌年の)アカデミー賞主演男優賞・主演女優賞だけじゃなく、作品賞にもノミネートされたのか、さっぱり分からない。
 
母親役のシシー・スペイセクは、相変わらず鼻が少し上を向いていたが、いい感じのおばちゃんになっていた。もともとこの女優、おばちゃん顔だが・・・。
 
イン・ザ・ベッドルーム (2001)アメリカ In The Bedroom 
監督:トッド・フィールド