『蝶の舌』は、話がすうすうしているうちに、最後の場面まで来てしまった。

この映画、久しぶりに観てるうちに居眠りをしてしまった。何とも脈絡のない話が続くじゃないかと思っていたら、やはり、マヌエル・リバスという作家が書いた原作の映画化で、しかも、原作は16の短編から出来ていて、そのうち「蝶の舌」「カルミーニャ」「霧の中のサックス」の3つが、映画のエピソードとして入っているらしい。
 
エピソードを順番に映像化したものだから、肝心の少年と老教師との心の通い合いが、中途半端な密度の薄いものになっていた。小説を映画化したもの、特に短編を寄せ集めてひとつにした映画は、『たそがれ清兵衛』もそうだったが、どうもまとまりが悪いように思う。いっそのこと、オムニバスにした方がよかったんじゃないか?映画のシナリオは、太い本筋があって、そのまわりにちょっとした小話程度のエピソードがあるのがいい。本筋から離れたエピソードが、ごちゃごちゃとでてくると、話が見えにくくなる。 
 
だいたい、小学1年坊主と定年間近の先生との間に生まれる師弟愛というのも、小説の中だけの絵空事ではないか?現実の世界では、仰げば尊し我が師の恩というのは、中学生くらいになっても、あまり感じている奴はいなさそうだし、高校生になったら、教師とは対等だと思っている。先生の方も、ロリコンやら、セクハラ(先生の場合はアカハラもある)やら、援交やら、覗きやら、盗撮やら、痴漢やら、ろくでもないのがぞろぞろいる。 
 
この映画は、8才の子供が主人公とはいうものの、子供を対象にした映画ではない。子供には見せられないどぎつい濡れ場が入っている。つまり、大の大人である観客が、8才の子どもに感情移入できるかできないかが、この映画で、泣けるか泣けないかの分かれ目だ。当然のことながら、こんな映画では、泣けない。こんなガキに感情移入しろと言われても、そりゃあ無理ってもんですぜ。
 
ナイナイの岡村をもっと小さくしたようなモンチョ少年が、老教師の薫陶を受けて、自然界や文学に興味を持ち始める話が本筋なんだが、その横から、少年の腹違いの姉のどろどろした愛憎話やら、兄さんの淡い初恋(とも言えないほどのすれ違いざまの恋心)が生んだ、奇跡のサックス名演奏やらをつっこんであるから、何が本筋の話なのか、少々ごちゃついてしまった感がある。
 
姉と兄のエピソードでは、少年は単なる傍観者に過ぎず、少年の成長と大人の色恋沙汰はあまり関係ないだろと画面につっこんでしまった。しかも、ご丁寧にも、このガキッちょの初恋話まで入っている。(少女の裸や。それもぎょうさん・・・映画監督は、どいつもこいつもロリコンなのか?) 
 
◆◆ネタバレ注意◆◆ そんなこんなで、話がすうすうしているうちに、最後の場面まで来てしまった。ここは、この映画の最大の見せ場ということになっているから、映画をまだ観ていなくて、観てもいいかもと思っている人は、ここから先は飛ばしてね。思いっきりネタバレで、しかもケチつけまくっているから、後から素の気持ちでは観れなくなるかも・・・。 
 
スペイン領モロッコでのクーデター勃発が引き金になって、共和国支持者が検挙されはじめると、いよいよスペイン市民戦争だ。『誰がために鐘は鳴る』だ。しかし、この母親は、亭主に政治的信条を曲げるように強要しだすし、8才の子供にまで、保守体制擁護派であることを表明させようとする。ま、家族の生活を守るために、この母親は、彼女なりに必死だったのは理解できるが、常識で考えて、子供が信念をもって、自身の政治的立場を表明したりするはずないだろ。
 
小学校の高学年の頃に、60年安保があった。スペイン内戦と安保騒動では、根本的に違うけれど、なんとなくテレビのニュースで、なんだか騒いでいるなぁというくらいの印象しかなかった。『スタンド・バイ・ミー』でも書いたが、小学生時代の私は、物心がついていなかったというか、ひたすら靄のかかったような意識の中で、ぼーっと生きていた。モチロン、今みたいにその日の出来事を根ほり葉ほり解説してくれるニュースショーもなかったが・・・。 
 
この子供が、アテーオ=不信心者やら、アカ=共産主義者やら、裏切り者やらの誹謗中傷、罵詈雑言を吐くのは、単に母親から他の村人と同じようにそう言えと言われたからで、いわばオウム返しの口まね。言葉の意味も、全然分かってなかっただろう。 
 
であるから、最後に老教師の乗せられたトラックの荷台に向けて投石しながら(いくら付和雷同は浅はかな人の常だといっても、このガキ、何をさらすんじゃ!)、最後に「ティロノリンコ」やら「蝶の舌」やらとワケ分からないことを叫ぶ。これだって、この子が、その言葉に重い意味を込めたとは、到底思えない。こんなエンディングで、泣けるワケがない。ガキが主役の映画はどうも性に合わない。 
 
老教師の方も、かつての教え子の蛮行に、ただただ絶望しているだけのように見えた。しかし、もしも少年の投げた石が老教師に当たって、額辺りから血が流れ出しているにもかかわらず、毅然と立ったまま、少年に慈愛のこもった眼差しを注ぎつつける老教師の顔の大写しのストップモーションが、この映画のラストシーンだったら、思わず涙ぐんだかも知れない・・・。◆解除◆
 
この映画で誉めていいのは、色彩のコントラストが強い映像ぐらいかな。ほとんどの人物は、顔半分が影だった。色彩がいかにも情熱の国スペインの夏だ。強い光のあるところには、濃い影が出来るものなんだ。この映画の舞台になっている、スペインのガルシア地方というのは、スペインの中でも特異な地域で、豊かな緑(そう言えば、スペインは、暑く乾いたイメージがあったが、この映画で蝶を追いかけていたのは、瑞々しい緑の森の中だった)に覆われ、住民もケルト民族の血を引いているらしい。ラテン系の情熱の国スペインというより、光と影の国スペインの方だった。 ゴヤの「黒い部屋」という壁画のレプリカを、徳島の「大塚国際美術館」で観たことがあるが、あの絵の凄さは、人間性の光と影そのものだった。
 
おまけのつっこみ。『蝶の舌』というタイトルだが、密を吸うのは蝶の口じゃないか。舌が伸びたり縮んだりするのはカメレオンだけでしょ。原作が『蝶の舌』だから、仕方ないと言ってしまえば、た仕方ないのだが・・・。芥川賞を受賞した、少々トンガッテいる女の子(当時)の小説で、「舌をヘビみたいに二股にする」という話がでてくるが、このタイトルを見たときに、この二股の舌を思いだした。
 
蝶の舌(1999)スペイン La Lengua De Las Meriposas 
監督:ホセ・ルイス・クエルダ 
出演:マニュエル・ロサーノ、フェルナンド・フェルナン・ゴメス、ゴンサロ・ウリアルテ、ウシア・ブランコ