『アダプテーション。』で最もインパクトがあったのは、車の衝突シーンだ。

この映画を観る前に、『マルコビッチの穴』を観ておいた方がいいかも?何しろ、監督、脚本とも、同じコンビの作品というだけでなく、その脚本家本人がモデルの映画だった。ハリウッドの映画界の内幕ものというジャンルは昔からあったように思うが、この映画は、上記の最強コンビが作った映画だから、一筋縄ではいかない。
脚本家というのは、オリジナルのシナリオを書く場合は除いて、原作を映画に焼き直す役だから、原作のいいところは残して、映画としての見せ場はしっかり作らなければいけない。しかし、この映画の脚本家役のニコラス・ケイジは、原作があまりに淡々狸なもので、脚本の書きようがないんだと悩んている。この親爺、どちらかというと、妄想癖がある小心者で、女性方面も消極的な方だ。 
 
◆◆ネタバレ注意◆◆この男には、能天気な双子の弟(?)がいて、もちろんニコラス・ケイジが二役をやっているワケだが、そいつが見よう見まねで書いた脚本がプロデューサーに受けて、映画化されるかもしれない事態になり、兄としては、面目丸つぶれだ。それで、弟に頼み込んで一緒に原作者のヒミツを暴きにかかったとこから、この映画のクライマックスになだれ込むワケだ。しかし、観客にしてみれば、だいたいどんな原作なのか知らないのだから、脚本にならないと言われても、悩みの根っこのところが、いまいち共感できなかった。◆解除◆
 
しかも、映画自体は、脚本家の話と原作者の話と本の主人公の話が、時間差攻撃で交互にでてくるという、かなりややこしい構成だ。この前の『めぐりあう時間たち』もそうだったが、最近の映画は、わざと時間の経過をごちゃまぜにするのが流行っているようだが、あれは、感心できない。それこそ、主人公の心の声をモノローグで挿入する手法以上に、観ている方は白けるのだ。しかし、『メメント』までいったら、確信犯だから、それはそれで、面白いのだが・・・。ところで、原作者役のメリル・ストリーブは、はっきり言って色気がない。濡れ場は似合わない。
 
この映画で最もインパクトがあったのは、車の衝突シーンだ。2回も出てくるところをみても、結構こだわっているみたいだ。どんなやり方で撮影したのか分からないが、何しろど迫力だった。思わず声がでてしまった。映画館で観ていて、いい爺さんが、悲鳴を発したら、恥ずかしいだろうな・・・。 
 
アダプテーションというのは、「適応」という意味と「脚色」という2つの意味があるのだが、この映画の場合、どちらかというと、「不適応」だ。それにしても、原題に「Adaptation. 」と、ピリオドが付いてるのは何故?
 
アダプテーション。(2002)アメリカ Adaptation.