『イル・ポスティーノ 』は、地味な映画だった。なにしろ隠喩(メタファー)がテーマなのだ。

地味な映画だった。なにしろ隠喩(メタファー)がテーマの話なんだから。隠喩というのは、雨のことを「空が泣いている」という類いだ。隠喩で記憶に残っているのは、中原中也の「トタンがセンベイ食べて 春の日の夕暮は穏かです」くらいだ。これは春のつむじ風のことを詠っているのだろう。突風は女の人のスカートもまくるけれど、屋根のトタンもめくりあげる。そりゃあバリバリとセンベイを囓ったような音もするだろう。しかし、それにしては、「春の日の夕暮は穏やかです」と続くのは、ちょっとおかしいな?ここは「春の日の夕暮は賑やかです」か、「春の日の夕暮はやかましいです」じゃないか。。。中原中也の詩につっこんでどうするの?
 
◆◆ネタバレ注意◆◆チリの実在の詩人、パブロ・ネルーダがイタリアに亡命してきて、小島に滞在しているのだが、その詩人に世界中から送られてくる手紙(ファンレターね)を配達するだけの役目で、郵便局員に臨時採用された男が主人公のマリオだ。その男が、詩人との交流のなかで詩に目覚め、やがて、酒場(というか食堂)の別嬪さんのベアトリーチェに惚れて、詩人に恋文に書く詩の手ほどきを受け、最後は仲をとりもってもらったという話◆解除◆だけど、イタリアといえば、ほとんど女たらしばかりの国のはずなのに、あの主人公は色男系にはほど遠く、モテナイ君の典型だった。 
 
主役のマッシモ・トロイージは、イタリアの喜劇役者だったらしいが、この映画のクランクアップの直後に死んでしまったので、遺作ということになる。なんだか、表情に生気がないというか、恋をしてる若い男特有の熱に浮かされたような、体の中(特に下半身)から沸々と沸きあがるエネルギーが感じられなかった。やはり、死期が迫っていたからだろうか・・・。 
 
この映画は、1995年のアカデミー賞の作品賞やら主演男優賞にノミネートされたのだが、作品としては小品だから、作品賞の受賞はちょっと無理だった。この年の作品賞は、メル・ギブソンが製作・監督・主演した『ブレイブハート』がとった。この映画も音楽賞はもろた。確かに音楽は、叙情的でかなりよかった。もう少し地中海に浮かぶ島の風景とか、町並みとかの自然の風物が写っていたら、観光映画としてもよかったんじゃないだろうか・・・。 
 
◆◆ネタバレ注意◆◆主人公とベアトリーチェとの恋の成り行きも、何となくあっさり味すぎたように思うのは、果たして私ひとりだろうか?ベアトリーチェ役の女優は、妙に肉感的で、あの女はどちらかというと、道ならぬ恋に身を焦がして、男を破滅させるタイプだと思ったが、この映画では、それほど波瀾万丈の恋の駆け引きやら、愁嘆場なんかはなくて、すんなり結婚までいってしまった。
 
映画としては、詩人がチリに帰ってからの主人公の行動が山場なんだが、あの録音機の使い方を説明書もなしで、よく分かったな。しかも、屋内AC電源用の機械を屋外用に改造までしていた。◆解除◆
 
郵便配達の話というと、以前に観た中国映画の『山の郵便配達』という映画も、いかにも中国らしく、エラくしみじみした話だったが、地味さでいったら、どっちもどっち。いい勝負だ。
 
イル・ポスティーノ (1995)イタリア Il Postino 
監督:マイケル・ラドフォード 
出演::マッシモ・トロイージ、フィリップ・ノワレ、マリア・ガラッツィア・クチノッタ