『マレーナ』は鄙にはマレーナ別嬪さんだったが、映画はスカだった。

12才のガキのストーカー行為や下着泥棒を「よく分かる」と思うか「何をさらしとんじゃ」と思うかで、観る人の成熟度が測れる。ロッテのバレンタイン元監督似のこのボウズのやっていることが気味悪かった。やはり。こいつは少々変態じゃないか・・・。 
 
鄙にはマレーナ別嬪さんのマレーナが、戦争未亡人(私自身は戦中派ではないが、この言葉には、なんだか懐かしい響きがある)になってしまったことから、転落の人生が始まるワケだが、ここで、疑問その1。娼婦というのは、人類最古の女性の職業だとも言われているが、こんな田舎町にも娼家はあるものだろうか?客も娼婦も知り合いばかりというのは、かなり恥ずかしものがあるように思われるが・・・。疑問その2。イタリアの親父は、息子の筆おろしの面倒まで見てやるのか?しかも、12や13で初体験させるのか? 
 
マレーナがうつむき加減に田舎町の道を歩くシーンが何度も出てきたが、あのときのマレーナは、自身の美貌(というかセックスアピール)に陶酔しているようだった。男たちのまとわりつくような熱視線を一身に浴びて、ある種の快感があったのは事実だろう。あのシーンは、後半のマレーナの境遇への伏線だったのか?あんな風にフェロモンを振りまいて歩く女は、そりゃあ、おばさん連中の反感も買うだろう。
 
それに、美しいのも才能のひとつとはいうものの、こんな別嬪さんだったら、もっと別の選択肢があったのじゃないだろうか?借金のカタとか、ヤクザに手込めにされたとか、成り行きでそうせざるを得なかったのなら致し方ないが、自ら決心して苦界に身を沈めるのだったら、知り合いなんかのいない大きな街に行って、そうするのが普通じゃないか? 
 
12才の少年が主人公の映画といえば、ご贔屓の『スタンド・バイ・ミー』があるが、同い年にしても、イタリアのガキの方が色気づくのが早いようだ。この映画のような10代の性典ものというジャンルは、日本映画にもあったが、日本では、16・7才くらいの高校生が主人公じゃなかったか?私の感覚からすると、12才で大人の女に色目を使うのは、マセ過ぎだ。とはいえ、大人になっても、子供しか性欲の対象にできないロリコン野郎も困りものだが・・・。ま、近頃のガキはマセているから、小学生でも、この映画のガキの気持ちがひしひし分かるというエロボウズがいるかも知れない。 
 
それにしても、少年の妄想をそのまま映像にして見せるという手法は、いささか卑猥過ぎるように思った。なにかはしたない感じ。もう少し婉曲表現があるだろう。B級ポルノ映画のノリだ。ポルノがいけないワケではないが、『ニュー・シネマ・パラダイス』の監督が撮った映画にしては、品がない感じがしたのは、果たして私ひとりだろうか?『アメリ』でも、女の子が妄想するシーンがあったように思うが、どうしても男の子の妄想はストレートすぎて、年頃の娘なんかと一緒に観ていたりすると、ちょっとどぎまぎしそうだった。幸か不幸か娘はいないが、嫁さんと一緒に観るのも憚られる。 
 
◆◆ネタバレ注意◆◆ あのラストシーンは、屋上屋を重ねるという類いだと思うが、戦死したはずの亭主が片腕を失ったものの、戦場から帰還してきて、嫁さんが村人はもちろん、ドイツ軍の将校とまで寝ていたという事実を聞かされたら、まず嫁を探す前に、一度でも寝たとおぼしきスケベ親爺にヤキを入れてまわるのじゃないだろうか?それでこそ、この亭主の腹の虫も収まるというものだ。 
 
それに、たとえ嫁を苦界から救い出せたとしても、ふたりの関係を修復するのは並大抵のことではない。そんなふたりが一緒に田舎町に帰って来て、これ見よがしに大通りを腕を組んで歩いたりするだろうか?そんな奴は絶対におらん。このシーンは、全くもって理解不能だった。もっと納得のいく説明をしろ!
 
また、村人のおばさんたちも、手のひら返したようにマレーナに「ボンジョルノ」なんて愛想をしないだろ。無理矢理ハッピーエンドにしてしまいたかったのか?それとも、これはハッピーエンドなんかじゃなくて、真面目そうな顔をしている、そこらの親爺連中のずるさ、汚さ、いやらしさを強調しておいて、映画を観ているわれわれ観客にも、「あんたも同類だろ」と刃を突きつけたかったのか? ◆解除◆
 
マレーナ(2000)イタリア・アメリカ malena 
出演:モニカ・ベルッチ、 ジュゼッペ・スルファーロ、ルチアーノ・フェデリコ、マティルデ・ピアナ