『リービング・ラスベガス』は、壮絶な酔生夢死の物語だった。

これは、現代の酔生夢死の物語だ。あるいは、ダメ男と娼婦の切ないラブストーリー。客は遊女に惚れたと言い、遊女は客に惚れたと言うのが、かつての遊里での常識だったらしいが、この映画では、客と娼婦として出会った男女が、お互いに惚れあった。
 
飲み過ぎると、肉体的にも精神的にも苦痛意外の何ものもたらさないのが酒だが、それでも、浮き世の憂さを晴らすために飲み続け、一旦アル中になってしまうと、血中アルコール濃度が下がると手がふるえだしたりするだけじゃなく、不安やいらだち、焦燥感などが募り、一層惨めな気分になるから、一時もしらふでいることが出来なくて、仕方が泣く泣く飲み続ける。この悪循環を断ち切りたいと、断酒道場に入ったりする御仁も多いが、この映画の主人公は、とことん飲み続けてやるという道を選んだ。何とも壮絶な話だ。
 
◆◆ネタバレ注意◆◆ニコラス・ケイジが演じるアル中の男は、俺に酒をやめろと決して言うなというのを条件に、ストリートガールのエリザベス・シューの部屋に転がり込んでくる。普通、男と女がひっつくと、女は男の食事の世話を焼いて、下手な手料理を作って食べさせたりするものだが、この女はスキットルをプレゼントするのだ。アル中の男に酒の携帯容器を贈るところに、ある種感動してしまった。 ◆解除◆ 
 
 
この映画には自伝的な原作があったそうだが、確かに死ぬまで酒を飲み続けてやるという決意は、並大抵な精神力では出来ない。健康のためにタバコをやめるような軟弱な凡夫は易きに流れてしまうから、自殺するにも、もっと手っ取り早い手段を選ぶだろう。それにしても、よっぽど体内にアルコール分解酵素が多いんだろうな。あんなにがぶ飲みをして車を運転できるのだから。。。
 
ラスベガスが映画の舞台というのも如何にもだ。砂上の楼閣というか、不夜城にして虚栄の市だから、日常から切り離された究極の愛の物語の舞台としてはうってつけだった。ロスでも、ニューヨークでも、ストリートガールはいるのだろうが、一般人も沢山いる。ところが、ラスベガスには、ギャンブル目当ての旅行客とカジノ関係者しかいない非日常の空間だ。つまり、日常生活の影が差さない。このロケーションが乾いた悲哀感を醸し出したのだろう。 
 
◆◆ネタバレ注意◆◆この映画、主人公が死なないことには終わりようがないし、日本的な情死、心中道行きというのもあったかも知れないが、それでは、どうしようもなく湿っぽくなる。話の落としどころとして、腹上死に落ち着いたのだろうが、あんなにぐでんぐでんでも、致せるものなのか? ◆解除◆ 
 
バックに流れるジャズがいい感じだ。やはり退廃系の映像には、ジャズがよく似合う。映画の途中で、このふたりの雰囲気は、大昔に観た『真夜中のカウボーイ』になにか似ているように感じたのだが、ダスティン・ホフマンが、最後にフロリダ行きのバスの中で死ぬシーンが、瞼の裏によみがえってきた。 合掌 
 
蛇足 エリザベス・シューは、すごく筋肉隆々のストリートガールだった。
 
リービング・ラスベガス(1995)アメリカ LEAVING LAS VEGAS 
監督:マイク・フィギュス