『フェリーニのローマ』は、全編やらせのドキュメンタリーだった。

観終わった感想は、おなかいっぱい。イタリアンは決して嫌いな方ではないが、一度にこんな沢山食べたら胸焼けがする。この映画、全編やらせのドキュメンタリーといったところだった。どこにも真実はないが、すべての映像はフェリーニにとっての真実ということはできるのだろう。たぶん・・・? 
 
1972年の製作だが、当時映画館で観たときの印象は、あまり鮮明に残っていなかった。ストーリーらしいものがほとんどなく、何か雑多なシーンの羅列でしかなかったのだが、ただ切れ切れのシーンは確かに記憶に残っていた。特に、初めの方の市電がすぐ脇を走っている道路脇で、街の衆が延々と晩飯を食っているシーンや地下鉄の工事現場で発見される古代ローマの遺跡のシーン、それに、ラストのバイクの集団走行シーンなんかだ。
 
◆◆ネタバレ注意◆◆ところが、肝心(?)の娼館のシーンは、ほとんど記憶になかった。まだ若かったから、色っぽいというより、怖い、ごっつい、濃ぉい、おばさんぽい感じのイタリア女たちに怖れをなして、記憶から抹殺してしまったのかも知れない。しかし、この歳になっても、やっぱり後込みしそうだ。
 
この前に観た『ラジオデイズ』では、戦時中のニューヨークが描かれていたが、この映画では、戦時中のローマが描かれている。ニューヨーカーもそうだったが、イタリア人も。戦争中にもかかわらず、人生をとことん謳歌していた。「欲しがりません勝つまでは」の禁欲主義も、「撃ちてし止まん」の悲壮感も、ない。ま、ラテン系だから、当然といえば当然だが・・・。
 
さらに、現在(といっても今から40年前だが)のローマの様子も写してある。そこに出てくるのは、懐かしや、スペイン階段にたむろするヒッピーのおにいさん、おねえさん方だ。"LOVE AND PEACE"で世の中なんとかやっていけるという楽観主義で、のほほんと生きていた当時の若い衆も、今や爺さん、婆さんだ。自慢のロングヘアーも、毛根の根性がなくなり、日に日に脱落して行き、真ん中分けが出来んようになったと思いきや、集団離脱を始めた。お~い、髪は長い友だちと違うのかぁ・・・。いやはや、光陰矢の如し、少年老い易く、学も財も成り難いと実感している、今日この頃ではある。 
 
閑話休題、この映画、ドキュメンタリータッチの演出にも関わらず、いろんなシーンをセットで撮ったらしい。雨中の高速道路のシーンもセットらしい。そういえば『マトリックス・リローデッド』でも、高速道路のセットを作って、ど派手なカーチェイスをやっていた。映画監督は金さえあったら。何でもやってしまう人種の証明のようなシーンだった。
 
ところで、この映画、じっくり観ると画面の俳優の口の動きと台詞がシンクロしていない。ということは、全部アフレコなんだ。役者の台詞や環境音も後からレコーディングしているところが、フェリーニらしいこだわりなのかな? 
 
それに、あのラストのバイクの集団走行シーンは、暴走族のいわゆる暴走行為ではない。あんなに整然と走る集団は、暴走族とは言えない。あれは、ほとんど軍隊の二輪部隊のようだった。暴走族に特有のろくでなし感が皆無なんだ。車の上にカメラを積んで走っただけでも、絵としては同じようなものが撮れただろうが、バイクの集団がいないと、サウンド面で物足りないと、たぶんフェリーニが感じたのだろう。 あのライトに浮かびあがるコロッセオやトレビの泉のシーンを観ると、ちょっとローマに行ってみたくなる。いつも口だけ。 ◆解除◆
 
それにしても、ローマという街は、至る所にローマ時代の遺跡やら、ルネッサンスの建物やらが点在している。日本でいえば、やはり京都かな・・・?
 
フェリーニのローマ(1972)イタリア Fellini Roma