『ガタカ』は、観ていて暗澹となる映画だったが、観た後はさほど暗澹とした気分が残らないようにしてあった。

主人公は、両親のカーセックスでこの世に生を享けた出来ちゃったベビーだが、能力的にも人並以上の若者だ。しかし、遺伝子的に何一つ劣るものがない完全無欠のロックンローラー、もとい、完全無欠の適正者(IQだけでなく、運動能力もサッカーのスーパースター選手並みに抜きんでていなければNG。将来に禿げる可能性が0.000001%でもあってはいけません。つまり、気の毒だがジダンはこの時点で落選だった。ベッカムは頭悪そうだから、最初からかすりもしないかも?)しか就職できないという超エリートの宇宙開発会社に入って、宇宙飛行士になることが究極の夢なんだ、って言うけれど、宇宙飛行士って、そんなに魅力的なお仕事?。
 
この前の「ライトスタッフ』でも、宇宙飛行士になるのは結構大変な選抜試験と適性検査をかいくぐらないとダメみたいだったが、この映画の場合、不適正者では、いくら履歴書を送っても、書類審査で門前払いされてしまうのがオチだ。
 
そこで、なにかいい手はないかと、このにいさん一計を案じた。遺伝子ブローカーを通じて出会った一人の元適正者(交通事故で車いすの境遇になってしまって、現在はちょっと世をはかなんでいる元水泳選手なのだが、元々が遺伝子操作でいいとこ取りをして生まれてきた適正者だから、アメリカを恨み倒して、自爆テロリストになったり、ウイルスまき散らすハッカーになったりできないのだ。つまり、病的なまでに、前向きな性格なんだよ。これが)と秘密の契約をし、その男になりすまして徹底的に世間を欺き通してやるという、身代わり渡世の苦労話を描いた話なんだが、観ていて暗澹としてきたよ、実際。
 
なんともキッツい話だ。確かに現在の日本でも、差別は厳然としてある。今や東大入学者の大半は私立高校出身者で、金持ちのボンボン、お嬢ちゃんらしい。就職にも結婚にも差別はつきものだが、ここまで完璧な差別というか、選別をやったら、人権団体だって黙ってないだろう。
 
それに、DNAの解明がここまで進んだ社会なら、当然遺伝子治療だって進んでいないとおかしいと思う。受精卵を遺伝子操作して、適正者を産ませる技術だけでなく、不適正者として生まれてしまった人の遺伝子を適正になるように矯正できるようにするのが、科学者の使命というものじゃないか?20才で死ぬ宿命を背負って生まれてきた赤ん坊を、科学の力で60才、70才まで生きられるようにできれば、それこそ科学の勝利。ノーベル賞ものだ。特に、今後少子高齢化社会が間近に迫っている日本では、こういう研究をしっかりやってもらいたい。
 
いわゆる天才は、突出した才能だから、運動能力面の天才もいれば、知能面の天才もいる。文武両道というか、両方ともに天才的な人間という人が歴史上存在したのか、しなかったのか、浅学にしてよく知らないが、ま、そんな奴、いないだろ・・・。
 
ギリシャの哲人ソクラテスが、ナイスバディのおねえさNから、「ふたりが結婚したらきっと頭はあなたに似て天才で、カラダはわたしに似てスーパーモデルみたいに容姿端麗で、スポーツ万能の子どもが出来るわ」と結婚を迫られたとき、ひ弱なソクラテスは、「頭があなたに似て、カラダがわたしに似ていたら、どうするの?」と答えて、断ったらしいが、天は二物を与えずというのが世の常だと思う。
 
この映画の背景の社会は、究極のバース・コントロール定着社会だから、出来ちゃったベビーやら御落胤などは通常あり得ない訳だが、そうであるなら、劣性遺伝子がひとつもない試験管ベビー以外は、合法的に出産出来なくしそうだが、普通の病院で出産していたから、それほどきついシバリはないことになる。しかし、そうであるなら、逆に、警察が不適正者狩りを、あそこまで徹底的にやるというのも、なんとなく納得しにくい。
 
私なんか、自慢じゃないが、劣性遺伝子が服を着て歩いているようなもんだ。目はもともと乱視の近眼で、近頃は離せば分かる老眼だし、「頭のてっぺんまで額にする気かぁ!」と抜け毛に文句を言いたなるほど、生え際は後退する一方だし、医者にGOTもGPTもγ-GTPも尿酸もコレステロールも高いと言われるし、腹のまわりにたっぷり脂身抱え込んだリンゴ型肥満だし、アレルギーで目はかゆいし、血圧は高いし、英語はろくに喋れないし、50m泳いだら死にそうになるし、プログラミングはちんぷんかんぷんだし、車は半年に2回も駐車場の中でぶつけるし、釣りに行ったら河原で転んで膝を強打するし、見積書の数字は合計を間違うし、甲子園に応援に行ったらタイガースが負けるし、ホント、劣悪な人生だ。それでも、僕らはみんなぁ~生きているぅ~。生きているから楽しんだぁ~。
 
ヤクザもごろつきも、おたくもオカマも、異常性格者もハンニバルも、毛髪力が低下してる人も、器量の悪い女も男も、標準体重をオーバーしている人も、標準身長に達していない人も、鬱も躁もいない社会、天才でなく秀才ばかりの社会、そんな社会では、映画は生まれにくいだろうし、生まれた映画も、観るに値しないだろう。
 
この前の『ブラジル』でもそうだったが、世の中というものは、リーズナブルな方向に変わっていくもので、あんまりいびつな形にはならないものだと確信している。しかし、独裁者がワケの分からない社会をつくったのは、歴史上枚挙に暇がないが・・・。
 
映画は、終盤になって謎が解けるというか、一種の辻褄合わせがあって、観た後は、それほど暗澹とした気分が残らないようにしてあった。ジュード・ロウは、『ロード・トゥ・パーディション』でも、異常性格者のヒットマン役をやっていたが、この映画でも、元適正者という、かなり難しいキャラクターをうまく演じていた。
 
この映画にでてくる宇宙飛行士の卵が、どいつもこいつも、中肉中背で坊ちゃん刈り、揃いも揃って間抜け面なのは、なぜ?宇宙に行くのに、スーツを着て行かなくてもいいだろ・・・。
 
ガタカ(1997)アメリカ GATTACA