ブレードランナー』は、レプリカントに同情してしまった。

SF映画の名作の誉れ高い作品だが、以前にビデオで観たときも、仇役のルトガー・ハウアーの方がいい人なんじゃないかと思ったが、今回『最終版』を観ても、このにいさん、人間としていいとこあるじゃん。
 
人型ロボットはあくまで機械だが、人間に限りなく近づけたアンドロイド(この映画ではレプリカントと言っているが)なら、機械というより人工生命体だから、意志や感情があって、喜怒哀楽を表すことができるのはあたりまえじゃないのか。犬や猫だって、ちゃんと意志も感情もあるのだから。そりゃあ、過酷な境遇で奴隷のように扱われたら、足もあるのだから、逃げ出したくなるのも無理はない。
 
アシモフの「ロボット工学三原則」に基づいて作られているレプリカントであれば、人間に危害を加えるようにはプログラムされていないはずだから、レプリカントが脱走したら、徹底的に追いつめて抹殺するというのも、なぜそこまでやるのか。逃げ出したレプリカントが、どこかでひっそり暮らしていたって構わないのと違うかと思う。しかも、レプリカントは4年の寿命しかないというじゃないか。そっとしといてやれよ。
 
ロボット工学三原則(ロボット三原則とも言われる)
 
1. ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。(A robot may not harm a human being, or, through inaction, allow a human being to come to harm.) 
 
2. ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。(A robot must obey the orders given to it by the human beings, except where such orders would conflict with the First Law.) 
 
3. ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。(A robot must protect its own existence, as long as such protection does not conflict the First or Second Law.) 
出典: フリー百科事典『ウィキペディア』 
 
そういう意味では、ハリソン・フォードは、すかんタコだった。刑事というのは、法の下の正義の実行者でないといかんのだが、この未来社会のレプリカントに対する法律には、正義が感じられない。蛇遣いのおねえちゃんなんか、なんにも悪いことをしていない。それを町中追っかけ回して射殺するなんて、極悪非道な行いとしか思えなかった。
 
指を2本も骨折していて、プロのフリークライマーばりに建物の外壁をよじ登るいうのんも、レプリカントがやるのなら、まだしも納得出来るが、生身の人間、しかもフツーのオヤジがやるのはちょっと無理だろ。骨折しているのは薬指と小指だけだから、人差し指と中指の2本で充分体重を支えられると言われてもなぁ。。。アンビリバボー。
 
2019年のロスが舞台らしいが、あと15年経っても、たぶんあんな風にはならんやろな。近未来を描くSFゆーのんは、今日の占いと同じで、過ぎてしもたら実にあほらしいもんやが、21世紀の日本経済も「ジャパン・アズ・ナンバー1』となるはずやったのが、現実は恒常的デフレ不況のていたらくや。 
 
ヘンな日本語の看板、長唄(?)、こういうのって、外国人の目にはどう映って、耳にどう聞こえているのか?日本人がアルファベットも漢字も使われていないハングルの看板を見たり、アラビア語コーランを聞いたりしたときと同じかね。以前アメリカ人のおねえちゃんに、日本人同士が日本語を喋ってるのはどう聞こえているのかと聞いたことがあるが、そのおねえちゃんは、一言「ノイズ」言い放った。うどん屋のオヤジも英語がフツーに喋れるのだったら、外国人に向ってヘンな日本語喋るな。雑音にしか聞こえないんだから・・・。
 
この映画のなかで、なんのことかよく分からなかったのは、ユニコーンが出てきたシーンとその折り紙らしきものとマッチの軸かなにかでつくった人形(ひとがた)のようなものとセピア色に変色した写真だ。あれらに何の意味があったんだ?誰か説明して!
 
ところで、『未来世紀ブラジル』と『ガタカ』と『ブレードランナー』のどれがいちばんのお気に入りかと聞かれたら、やっぱり『2001年宇宙の旅』かな。
 
ブレードランナー(1982)アメリカ Brade Runner