『ランボー 地獄の季節 』は、アフリカでの生活が地獄だったと勘違いする奴がいるだろう。

この映画は、アルチュール・ランボーの伝記映画ということになっているが、ランボーのことをまったく知らない人が観たら、アフリカでのランボーとフランスでのランボーの間に何の脈絡もないので、どういうこと?と思うだろう。
 
この前のディカプリオがランボー役をやった『太陽と月に背いて』の映画評で、「われわれ凡人にとっては、詩をあっさり捨てて、アフリカくんだりまで出掛けて行ってしまったランボーの後半生の謎にこそ、興味がある」と書いたのだが、この映画のアフリカでのランボー像は、写真でよく知っている10代のランボーが30男になったら、あんな顔になるんじゃないかと思わせるような「なんとなく似てる感」がテレンス・スタンプにあって、はまり役だったとは思うものの、謎は謎のままだった。
 
テレンス・スタンプは、何しろウィリアム・ワイラーの『コレクター』やら、パゾリーニの『テオレマ』やら、『世にも怪奇な物語』の3話目のフェリーニの『悪魔の首飾り』の、あのテレンス・スタンプなんだから、観ている方は、もっと異常な行動するはずだと思うでしょ。
 
しかし、10代の頃のランボーは、10代の役者がやった方がよかったかも。1939年生まれのテレンススタンプは、この映画の製作時点で30才、ちょっと年齢的に無理があったんじゃないか。ヴェルレーヌ役のジャン・クロード・ブリアリは、若い頃はフランスを代表する二枚目だったが、この映画のときで39才、ま、そろそろ男前だけでは食っていけない年齢にさしかかっていたんだね。それでも、『太陽と月に背いて』でヴェルレーヌ役ををやった、デヴィッド・シューリスほどの体当たり演技ではなかった。
 
前説が長くなりすぎたが、アフリカで武器商人をやっていたランボーは、過酷な気候風土のアフリカでの暮らしが「地獄の生活だ」みたいに言っていたが、ランボーにとっての地獄の季節は、フランスでの詩人としての時季であって、アフリカに来てからは、地獄ではなく、辺境での日常生活に過ぎない。そこんところをきちんと説明しておかないと、『地獄の季節』というタイトルが、アフリカでの生活を表したタイトルだと勘違いする奴がいるだろ。(そんな奴いないか?)
 
ランボーヴェルレーヌと一緒にロンドンに滞在していたときに、中国式の阿片窟に行くシーンがでてくるが、当時のロンドンに、チャイナタウンや阿片窟がほんとにあったのか?ネットで調べたら、「1872年に英国議会が阿片法令を可決して、その消費抑制に動いた」とあった。ランボーがロンドンに滞在していたのは、1872年の9月から12月までと1873年の1月初頭から4月初頭まで、同年5月末から7月初頭まで、1974年の3月から12月末までの4回だから、時期的には符号する。この頃は、ランボーの17才から19才の期間だ。映画の字幕で、ランボーヴェルレーヌに向かって喋る台詞は、ことごとく「お前」になっていた。どうも10歳以上も年上のヴェルレーヌの方が、妻の立場だったらしい。
 
ランボーは、ヴェルレーヌと別れた後、20歳でオランダの外人部隊に入隊し、すぐに脱走したり、キプロス石切場の現場監督をやったりした後、25才でアラビア半島の南端、旧南イエメンの首都・アデンのフランス商社に勤め、アデンとアフリカを何度か行ったり来たりして、武器やらいろんな品物の交易をしていたということになっている。
 
アデンやアフリカでの10年に亘るランボーの実際の生活がどんなだったかは、資料や手紙があまり残っていないらしいから、よく分からないのだが、武器商人といえば、海千山千を絵に描いたようなダーティな仕事だから、もっと正体不明なワルの感じ、転んでもただでは起きんといった、ふてぶてしい男に描いてあってもよかったんじゃないか。奴隷市場のシーンがちらっと出てきたが、ランボーの取扱商品リストに奴隷もあったのか?
 
私としては、アフリカでの武器商人としての、ランボーの敏腕ぶりとか悪辣ぶりをもっと観たかったんやが、現地の王さん(中国人のワンさんとちがうあるよ。王様だよ、王様。このオヤジの高笑いが不気味だった)に軽くあしらわれたり、丸め込まれたりして、けっこう情けない男に描かれていた。一方、現地妻のおねえさんは、すっごくノーブルな感じだった。 
 
◆◆ネタバレ注意◆◆皆殺しにあった村で、生き残りの少年を見つけて連れて帰るシーンとかは、主人公をいい奴に見せる、如何にもとってつけたようなヒューマニズム・シーンだった。
 
ラストで、ランボーの足の腫瘍が悪化してきて、フランスに戻って、足の切断手術をするため、担架を作って、それを屈強な4人の男に交代でかついでもらって、港をめざすのだが、重すぎてすぐにギブアップする。ランボーはなけなしの金貨(か銀貨)を取り出して、この金をやるからもう少し頑張ってくれと頼むのだが、4人の男が金をもらって、また担架を担いで歩き出すのだが、やはり力つきる。この映画では、あそこでランボーも死んでしまったような終わり方だった。◆解除◆
 
この映画の台詞はイタリア語なんだが、フランス人のランボーが、なぜイタリア語を喋るのよ。しかも、アフリカ人もイタリア語を喋っていた。この場合、イタリア語に吹き替えてあるというのなら、まだ納得できるのだが、A ネロ、Eビヤンコ、Iロッソなんて言われても、イカスミかアサリのパスタしか思い浮かばない。確かに、アメリカ映画もよく無茶をする。『ラストサムライ』でも、当時の武士が流暢な英語を喋れるはずがないだろ。
 
それにしても、陰々滅々としたタイトルバックだった。切り絵というか、影絵というか、葉っぱもなにもない枝だけの木が、文字通りすぱっと切られたり、枝が伸びたりするのだが、遠い昔にみた「パルナス」の暗~いTVコマーシャル思い出したよ。
 
ランボー 地獄の季節 (1971)イタリア、フランス Una Stagione Al l' Inferno 
監督:ネロ・リージ 
出演:テレンス・スタンプ、ジャン・クロード・ブリアリ、フロリンダ・ボルカン