『テルマ&ルイーズ』は、『バニシング・ポイント』のエンディングを思い出した。

デッドマン・ウォーキング』での死刑囚の精神的後ろ盾になる尼さん役で、1995年の第68回アカデミー賞主演女優賞を取ったスーザン・サランドンは、1994年には『依頼人』で、1991年にはこの作品でも主演女優賞にノミネートされていた。さすが名優だと思うが、この映画のルイーズという独身中年のウエイトレス役は、尼さんほど重々しい役ではなかった。
 
しかし、正義感(?)も気も強そうな女だった。普通はこういう女の人だったら、カッとなって人を殺めても、さっさと警察に出頭するんじゃないか。もうひとりの主役のテルマの方が、ピストル撃ったのだったら、パニクって逃げることは充分に考えられるが・・・。このテルマは、14から付き合っていた男と世間知らずのまま18で結婚して、まだ子宝に恵まれていない30過ぎの専業主婦だ。このふたりが、どこでどうやって知り合ったのか、その辺の事情はよく分からなかった。
 
アメリカの刑法では、カッとなって殺した場合は、故殺だから第1級殺人にはならないだろう。悪くて5年の量刑のはずだが、ルイーズは、レイプ未遂男に対して2発ぶっ放していたから、少々検事の印象が悪いかもしれない。しかし、逃げたのはマズかった。
 
この女ふたりの逃避行ロードムービーでは、観客は主人公のふたりに共感しやすいというか、感情移入しやすいようにうまくシナリオを作ってある。さすがにアカデミー賞の脚本賞を取っただけのことはある。しかし、最初の殺人については、情状酌量の余地がないこともないが、その後の犯行は、あまり同情できなかった。
 
◆◆ネタバレ注意◆◆確かに虎の子の金を盗まれたから、酒屋に強盗に入ったのだし、ちょろちょろとちょっかいかけるトラックのスケベオヤジがうるさいから、トラックを吹っ飛ばしたんだし、スピード違反摘発のパトカーのポリさんも、ひとり乗車だったから、トランクに放り込まれたのだろう。いずれも犯人側に「まぁ仕方なかたんじゃない」と同情できるような事情というか情状酌量の余地を残してある。脚本家もそこのところを計算して、シナリオを書いているようだ。
 
しかし、世の中はちょっとした行き違いとか、ボタンの掛け違いで、事態が思わぬ方に転回するもんだ。この映画の場合も、もしも酒屋のオヤジが、妙に偏屈で抵抗したものだから、撃ち殺してしまっていたらどうだろう?トラックのスケベオヤジも、もしも積んでいた荷物が有毒ガスを出す液体だったら、事故現場は環境汚染で悲惨な事態になっていたかも知れない。カーチェイスで、ひっくり返されたパトカーの運転手は全員無事だったのか?と、まぁ、余計なお世話とは思うが、こんな風に自分勝手なことをしてはイカンと思う。この映画を観ていてふたりのやっていることの方が正しいような錯覚を起こさせる脚本のような気がしたから、ちょっと釘刺しておこうかと思ただけだが。◆解除◆
 
ところで、アメリカ人のメンタリティとして、あの刑事みたいに犯罪者に結構甘いのだろうか?ちょっとでも犯人に気の毒だと思わせる事情があったら、すぐに同情してしまうのは、日本人(特におばちゃんとリベラル系新聞)の専売特許と違うのか?何事につけ、黒白をつけないと気の済まないというのがアメリカ人で、何事も、まぁ仕方ないじゃないかというのが日本人だと思っていたが、そうでもないのかも・・・。
 
ヒッチハイカーの泥棒役で出ていたブラッド・ピットは、さすがにいい身体だった。この映画のときで27才、すぐ後の『リバー・ランズ・スルー・イット』でブレイクしたらしいが、甘いマスクというより、一筋縄ではいかない曲者の面構えをしていた。
 
監督のリドリー・スコットは、『ブレードランナー』、『グラデュエーター』、『ハンニバル』と話題作、超大作に事欠かないが、この映画も結構いけていた。いずれにしても、『バニシング・ポイント』のエンディングを思い出したよ。
 
テルマ&ルイーズ(1991)アメリカ Thelma & Louise