『レッド・ドラゴン』は、ハンニバル以上、羊以下というところだった。

ハンニバル以上、羊以下というのが大方の評価だが、同感だ。ま、話があっちこっち行ったり、無意味にひっくり返ったりはしないから、素直な気持ちで見ていられる。この映画の原作は読んでいなかったので、重箱の隅つつき的なケチをつける気にはならなかった。『ハンニバル』は、運悪く原作を読んでいたから、アラが見えすぎて消耗した。
 
なぜダメだったのかと、連夜のアルコール漬けで、とろとろになっているノーミソでつらつら考えてみるに、何といっても、『ハンニバル』では、ジョディ・フォスタークラリス役で再登板しなかったのが致命的だった。ジュリアン・ムーアは、『めぐりあう時間たち』の不定愁訴な嫁さん役も『クッキー・フォーチュン』の姉さんのいいなり妹の役もなかなかよかったのだが、あの映画では、見事にすべった。あまりにも普通の女っぽい捜査官すぎた。レクター博士が岡惚れしそうなオーラが出ていなかった。
 
一方、ジョディは、色気がないのがよかったね。レクター博士は、なっと言っても、百戦錬磨の美食家だから、フェロモンプンプンのベッピンさんは食傷気味だろう。ジョディは、なんとなく身持ちが硬そうで、男に色目使ったりしそうにない、毅然とした級長さんの感じだ。レクター博士の知性に対して、一応尊敬の念を抱いているが、正義感も強いから、厳しく接する。それこそが、博士の秘めたる恋情に火をつけたイグニッションスイッチだったのだね。(ホントかな?) 
 
ところで、この映画に女っ気はない。申し訳ないが、エミリー・ワトソン嬢は、どちらかというと蓼っぽかった。この女優、日本でいえば、『家政婦は見た』の市原悦子みたいなメイド顔だ。レクター博士の毒牙に掛かることはまずないタイプだった。博士は、男は誰でも食べるみたいだが、女はかなり選り好みする。
 
◆◆ネタバレ注意◆◆この映画の冒頭で、いきなりレクター博士は、瀕死の重傷を負うのだが、あんなに滅多撃ちされて、死ななかった方が不思議なくらいだ。まして、銃を撃ったのは FBI捜査官なんだから、まちがいなく急所に弾撃ち込めるはずじゃないのか?ま、ここでレクター博士が死んでしまって、死に神になったりしたら、『ジョー・ブラックをよろしく』になってしまうから、死ぬワケないが・・・。その後日談を新聞記事の切り抜きだけで見せてゆく演出は、まあ、みんな羊を先に観ているのだから、ここは端折って見せた方がダラダラしなくていいから、こんなシナリオを書いたのだろうと好意的に思っていたら、ちゃんと伏線になっていた。
 
この映画のもう一方の仇役(?)のかみつき男は、ウィリアム・ブレイクのファンというかマニアで、背中一面にレッド・ドラゴンのタトゥを入れているが、ブレイクの絵には悪魔崇拝みたいなニュアンスがあるのか?幻想絵画好きが嵩じて、あの連続一家皆殺しの凶行に走ったのか?それとも、ブレイクの絵は単なるタトゥの原画かなにかで、彫り師の店のサンプル帳にあったんじゃないか?そこんところが、はっきり言って納得できなかった。原作を読んだら、詳しい説明がしてあるのだとは思うが・・・。◆解除◆
 
ウィリアム・ブレイクの絵の題は「The Great Red Dragon (大いなる赤き竜)」というらしいが、あの絵(http://matome.naver.jp/odai/2133147313634678201/2133147695334822503 )のどこが赤い竜なの?子細に絵を眺めると、おかしなところが目についた。翼が生えてるから翼竜なんだろうが、それにしては、翼の面積に比して尻尾がごつすぎる。翼の生み出す揚力だけでは飛べそうにないが、魔力があるから構わないのかも。後頭部から羊の角のようなものが生えているが、あの位置で、あの角度では、角突き合わすことが出来ないから、無用の長物だ。それに、とにかく頭がでかい。トミーズ雅も真っ青だ。筋肉隆々のマッチョマンなんだが、あろうことか色白だ。普通は日焼けサロンに通って、赤銅色に焼きくんじゃないのか?それでこそ、レッド・ドラゴンだろ。ブレイクの絵につっこんで、どうすんの?
 
ま、もう一度『羊たちの沈黙』を観てもいいかな、という気にはなった。
 
レッド・ドラゴン(2002)アメリカ RED DRAGON