『スカートの翼ひろげて』は、女の一生/戦中編と言えないこともないが、たわいない青春ものだった。

時代背景は、第2次世界大戦のまっ只中、ロンドンが空爆され始めた頃の映画なんだが、死と隣り合わせの戦場ものではなくて、銃後の若い娘たちの話だから、のどかというか、ちんまりしているというか、まぁ、イギリスの田園風景が美しかったので、大負けに負けておこうか。いささか驚いたのは、戦後の日本の農村の兼業化の立て役者というか、農家の跡取り息子の農業離れの一因となったといえるトラクターが、戦争前にイギリスにはすでにあったということだ。 
 
田園風景で思い出したのだが、十数年前に、大阪と奈良の間に立ちはだかる生駒山の土手っ腹をぶち抜いて、大阪市内から奈良市内まで高速道路がつながった。開通後間もなくの頃、奈良へ行く用事があったときに通ったのだが、最初のトンネルを抜けて、次のトンネルに入るまでの間に、突如としてなつかしい田園風景が現れた。ちょうど秋だったので、ピーカンの青空の下、刈り入れ前の黄金色の稲穂が波打って、それはもう美しい田園風景だった。何故この風景がこんなにビューティフルなのか考えたのだが、すぐに答えが分かった。
 
要するに、道路際や田圃の中に、目障りな看板がひとつもなかった。日本の道路は、どこもかしこも看板だらけだ。ところが、この区間にはこれまで道路が通っていなかったから、日本の田舎の景色が温存されていたのだと思う。ただ、現在もあの頃のままとは思われない。不細工なデザインの看板が、にょきにょき林立しているんじゃないだろうか・・・。
 
看板屋の親爺は「目立ってなんぼ」と思っているのかも知れないが、けばけばしいだけじゃなくて、明らかに神経を逆なでするようなデザイン(あれはデザインとは言えないが)の看板が多すぎる。下手なイラストまがいの絵を描くな!もう少しマシな書体を使え!社名や店名がでかすぎる!○○歯科とか□□医院とか、近所の住人しか来ないんだから、そんなにでかい看板は要らないだろう。
 
看板も悲惨だが、建物も悲惨だ。日本人は、景観に関してはあまり気にかけない国民なのだろうか。ヨーロッパ人は、異常なまでに景観を大事にする。あれも行き過ぎると、全体主義に陥るキライがあるが、目障りになる看板や建物は、やはり、ない方がいい。京都人は、比較的景観にうるさいようだが、あのローソクみたいな不細工な京都タワーが出来たときに、こりゃダメだと思った。それに、子供っぽいデザインの京都駅ビルも、衝立みたいで、景観ぶち壊しじゃないか・・・。その点、まだ奈良の方が、まだマシかも知れない。と言いつつ、完全道路沿いには、けばけばしい看板が林立している。
 
戦後の新建材で作られた建物は、新品の内は何とか見られるが、古くなると目も当てられないほどみっともなくなってしまう。いくら国全体が貧乏だったからといっても、大工さんや工務店の親爺は、もう少し景観を気にすべきだったんじゃないか。安ものは安ものでも、古くなったらそれなりの味がでてくる建材があったはずだ。ブリキやプラスチックの波板やプリント合板、リシン吹き付けの壁、ブロック塀、けばけばしい黄緑の金網なんかが、景観をぶちこわしにしてしまった。あれらの安直な建材を使わなければ、少しは景観が守られていたのではないか・・・。
 
さっさと映画の話に戻らんかい!とつっこまれそうだから、渋々戻ると、3人の女の子(といっても、20代半ばだからガキではない。3人ともなかなかの別嬪さんだ)が、Women's Land Army(農業促進婦人会)のボランティアに志願して、息子や父親が従軍していて、人手が足らない農家の手伝いをしに行くLand Girlになるのだが、日本で言ったら女子挺身隊のようなものかと思ったが、ちょっと違うかも・・・。
 
この映画の原題は『The Land Girls』なのだが、それを『スカートの翼ひろげて』という文学的な邦題をつけた配給会社の、こんなどうってことのない映画をそれなりにひょっとしたらおもしろい文芸映画かも知れないと錯覚させる高等テクニックは、相当なものだ。この邦題とDVDの写真だけ見て、てっきり3人の女が度重なる逆境にめげず、あのスカーレット・オハラのようにたくましく生きていく女の一生ものと、勝手に思いこんでしまった。ま、大負けして、女の一生/戦中編と言えないこともないこともないが、やはり、たわいない青春ものプラス女同士の友情話だった。 
 
◆◆ネタバレ注意◆◆で、ストーリーとしては、ここの農場の息子ジョーがこの3人の女の子と次々に関係をもつという棚ぼたの艶福話なのだ。と書いたら、文句を言う人がいるかもしれないが、はっきり言って、話は下半身に集中していた。いくら恋は女の主食だと言っても、戦時中の非常時に、アレにしか関心がない女というのも困ったもんだ。とはいうものの、ポルノまがいの映画では、決してないのだが・・・。
 
それにしても、もう少し修羅場とか、愁嘆場とか、土壇場のどんでん返しとかが、用意されていてもよかったんじゃないか。クライマックスというものがまったくないから、ハラハラもドキドキもしない。多少は良心的だけれど、根っからの淡々狸映画だった。◆解除◆
 
ウディ・アレンの『ラジオデイズ』では、戦時下のニューヨーク、『フェリーニのローマ』では、戦時下のローマが舞台だった。この映画の舞台は、戦時下のイギリスの田舎だが、3つの映画に共通しているのは、「向こうさんは戦争中といえども、結構生活を楽しんでいたんだな」ということだ。日本はそうだったのか?実際のところ、彼我の差はかなり大きいような気がするが、これって、市民社会の成熟度の違いではないだろうか?
 
3人の女の子は、それぞれ出身階級が違うのだが、上流階級と中産階級、労働者階級出身の娘が、きっとそれぞれの階級ならではの、典型的な喋り方をしているのだろう。日本に置き換えたら、初等科からの学習院出のお嬢さまと、山の手の国家公務員家庭の子女で、司法試験一発合格のキャリアウーマンと、下町生まれで、美容専門学校卒のおねえちゃんといったところか・・・。
 
発音やボキャブラリーの違いが、日本人にの私にはさっぱり分からなかったが、美容師だという娘の台詞は、ときどき男言葉にしてあったから、たぶん、乱暴な物言いをしていたのだろう。この辺は、吹き替え版の方が多少はニュアンスが伝わったのかも知れない。 
 
スカートの翼ひろげて(1998)イギリス THE LAND GIRLS 
監督:デビッド・リーランド