『ビッグ・フィッシュ』は、『魚がホラ吹く日』とかの副題をつけた方がよかったかも。

ホラーはキライだが、こういうホラ話は好きだ。映画のタイトルが『ビッグ・フィシュ』というくらいだから、ホラ吹き親父の話にどんどん尾ヒレがついたのは仕方がないのじゃないかと思うのだが・・・。
 
堅物の息子は、ガキの頃からさんざん聞かされた親父のホラ話に耳がタコなものだから、自分の結婚式のスピーチで、またぞろ十八番のホラ話をしゃべり出したときに、すっかり頭に来たようだった。それ以来、3年も親父と口を聞かなくなったというのも極端な話だが・・・。
 
映画としては、息子の父親に対するアンビバレントな感情がベースになっていて、結構古典的なテーマなんだが、普通はこんな父親のお茶目なホラ話なんか、大人になった息子は「ホラホラ、またオヤジのホラ話だ」と笑い飛ばすものだ。愚息や愚妻と一緒に映画を観てると、「また、しょうもないつっこみ入れてぇ」と鼻であしらわれることが多い。
 
ファンタジー映画は、楽しい、かわいい、お気楽だけではガキっぽくなる。ディズニーものは往々にしてそうだ。かと言って、あまりシリアスなシチュエーションにしてしまうと、ファンタジー映画ならではのほのぼのとした興趣が殺がれてしまう。この辺のさじ加減が難しいのだろう。この映画は、まずまずのほのぼの加減、シリアス加減だった。
 
◆◆ネタバレ注意◆◆ティム・バートンの作品は、『エドワード・シザーハンズ』しか観ていないけれど、この監督は「異形の人々」が結構好きみたいだね。『エドワード・シザーハンズ』は、それこそ主人公のジョニー・デップの手がハサミだった。この映画にも、ガラスの義眼に未来が映るという独眼の魔女やら、5メートルはあるかと思う大男やら、二心同体の双子の歌姫やらが出て来たが、決して見せ物小屋的には見せていないところがなかなかいい。あの犬科のサーカスの団長は、大男を思いっきり見せ物にしてやうろと思っていたが・・・。しかし、まぁ、初っ端の出産シーンにはぶったまげた。この映画、大ヒンシュク『モンティ・パイソン』ものかと一瞬思ったよ。◆解除◆ 
 
ユアン・マクレガーは、『ムーラン・ルージュ』では、大声で歌歌うだけだったけれど、この映画では、お調子ものだが、善良で、一穴主義者で、なかなかいい奴だった。こういうおにいちゃんは、歳をとっても、あまり頑固な爺さんにはならないと思う。どちらかというと、好々爺系と違うか。『アバウト・シュミット』のジャック・ニコルソンも結構好々爺系だった。その点、私のようなイラチで、ヘンコな男は、確率100%で頑固ジジイになる定めだ。しかし、この映画のホラ吹き男爵の親父さんほど、波瀾万丈な人生を送ってこなかったから、ときどき吹くホラのスケールがセコいのは仕方がない。
 
◆◆ネタバレ注意◆◆『ファーゴ』で、小悪党の誘拐犯をやっていたスティーブ・ブシェミが、元詩人(?)にして、銀行強盗の役で出ていたが、この映画では、あまり下司な感じはしなかったが、相変わらずヘンな顔だった。
 
ところで、あの森の奥にあった不思議な町なんだが、道路にまるでサッカー場のように芝生が敷き詰めてあった。◆解除◆ そりゃあ、みんな裸足で暮らしているのだから、石だらけの凸凹道だったり、砂利道だったりしたら、カラダのどこか調子悪いと足の裏が飛び上がるくらい痛いから、歩かれないだろう。アメリカ人は、寝るとき以外はほとんど靴を履いているから、人前で裸足になれと言われたら、パンツを脱げと言われたくらい恥ずかしいんじゃないだろうか。そういえば、『ロード・オブ・ザ・リング』のホビットも裸足だった。
 
もうひとつ、思い出したのだが、某薬品会社の京都にある薬用植物園(つまり漢方薬の材料になる植物を育てている植物園だ)に取材で行ったことがあるのだが、そこも通路に芝生が敷き詰めてあって、ちょっと感動した記憶がある。 
 
この映画の邦題は、『ビッグ・フィッシュ』なんだが、このタイトルでは、ファンタジー映画の雰囲気がでないのと違うだろうか?映画配給会社も、あまりしょうもない邦題つけるのはやめて欲しいが、 この映画の場合は、『魚がホラを吹く日』とかの副題をつけた方がよかったかも・・・。
 
ビッグ・フィッシュ(2003)アメリカ BIG FISH