『GO!GO!L.A.』は、ボケキャラふたりの勝利だ。

こういうお気楽映画は好きだなぁ。独特のバカっぽい空気感は、監督とか脚本家の手柄も多少はあるのだろうが、ヴィンセント・ギャロジュリー・デルピーのボケキャラの勝利だ。2人ともなんともクールだった。 主人公の純朴な英国青年役のデヴィッド・テナントは、気の毒だがインパクトが少ない。しかし、さすがに英国人だ。このにいちゃん、ハリウッドを正しくホゥリーウッドと発音していた。それから、ちょっと嫌味な女優志望の女役のヴィネッサ・ショウは、イカにもヤンキー娘だった。図体はでかいけれど、運動神経は鈍そうな感じだ。
 
なんといっても、ヴィンセント・ギャロだ。脱力系というのか、すべからく極端から極端に針が振り切れないように、じわ~っと生きているフリータータイプだね。こういう正体不明な男というんのは、L.A.とか、ニューヨークとか、東京都にしかいなタイプだ。何故か東京にはこういう手合が結構いる気がする。大阪とは比べものにならないくらい正体不明の輩が棲息している。ヴィンセント・ギャロほどチャーミングかどうかは別にして。
 
ただ、この役の男は、プールも掃除するが。一応ミュージシャンだった。ヴィンセント・ギャロの出世作『バッファロー’66』も、けったいな映画だったが、あれもなかなかよかった。あの映画では、 レイラ役のクリスティーナ・リッチもよかった。
 
もうひとりのお気楽女、ジュリー・デルピーがやっていたウエイトレス役もノー天気なカリフォルニア娘の感じがよく出ていた。元々パリ生まれの生粋のフランス娘らしいが、ぽってりした下唇がチャームポイントだ。目と目の間がかなり離れたヒラメちゃんでもある。この女優の出世作『恋人までの距離』は未見だが、機会があったら、観てもいいかなと思った。なんとなく親しみが湧くなぁ、この顔。
 
主役のふたりは、可もなく不可もなしだ。イギリス人とアメリカ人は同じ英語を喋っていても、人生に対する考え方がまるで違うようだ。一方は田舎もの、それも、イギリスの片田舎のど田舎ものだから、野暮天なのは仕方がないにしても、あまりにも場の空気が読めないタイプだった。片方は、フェロモンも才能もなさそうなんだが、妙な自信と飽くなき上昇志向だけは人一倍持っていて、こっちは人の気持ちが読めないタイプだ。このふたりのラブストーリーのシーンは、ハッキリ言って退屈だった。
 
脇役が主役を思いっきり喰ったというか、最初から「影の主役はあんただ」と監督がヴィンセント・ギャロに言っていたんじゃないかと勘ぐりたくなるほど、主客転倒の映画だった。それにしても、この脇役のおにいちゃん、結構世話焼きなんだ。普通は見ず知らずの男のために、部屋を世話したり、就職の世話をしたり、面接のテクニックまで教えたり、あそこまで親切にはしないだろ。
 
ヴィンセント・ギャロが、ライブで一緒に演奏する「レニングラードカウボーイズ」というロック・グループもかなり奇天烈だった。後ろにいたロシアの赤軍兵士みたいなコーラス隊は一体何者? 
 
最後に、ジョニー・デップだ。『デッドマン』のポスター役で出て来た。あの映画はけちょんけちょんにけなしたんだが、この映画に出てきた『デッド・マン』のポスター役のジョニー・デップは、なかなかいい味をだしていた。
 
「この世に単純明快な場所が2カ所ある。ひとつは墓場で、もうひとつはストリップ劇場だ」と船乗りみたいな帽子をかぶったジョニー・デップ似の男が言うシーンがあったが、確かにひとつはいずれは行き着くところだし、もうひとつはかつてそこから出てきたところを眺めるところだ。
 
主役のおにいちゃん(いちいち「主役の」と断っておかないと、誰の話をしているのか分かなくなるほど影が薄かった)の部屋には『シェルブールの雨傘』のポスターも飾ってあったから、カトリーヌ・ドヌーブにも、当時の年齢のままで出てきて欲しかったけれど、そりゃ、無理か。その代わりといったらなんだけれど、おばあさんになったアヌー・クエーメが出ていた。 
 
この映画の原題は『L.A. Without A Map』、『地図なしのL.A.』とでも訳すのか。水先不案内な男が虚栄の市ハリウッドをうろちょろする話のタイトルとしては、よく分かる題だ。ところが、日本の配給会社は、『GO!GO!L.A.』という軽薄な感じの邦題(といっても英語だが、ここは郷ひろみのイントネーションで、ゴウ!ゴウ!と発音するのだろう)をつけた。 しかし、ある意味この題の方が合っているのかも知れない。
 
 L.A. Without A Map(1998) 
イギリス・フランス・フィンランド