『エド・ウッド』は、感動作でも、お涙頂戴話でもないのだが、なんとなく、けなしにくい。

この映画もジョニー・デップだ。ゲップが出そうになるくらいデップにどっぷりはまったものだ。ジョニー・デップの映画は、『デッドマン』も、『ラスベガスをやっつけろ』も、『ショコラ』も、けちょんけちょんにけなしたのだが、この映画と『エドワード・シザーハンズ』と『フェイク』と『妹の恋人』は、まぁまぁよかった。超スーパースターになってからのものは、ほとんど見ていない。この映画もまずまずの出来だ。監督があまり無茶を言わなかったこともあるのだろうが、元々が伝記映画だけに、故人の名誉もかかっているから、デップも『ラスベガスをやっつけろ』みたいな無茶はできなかったこともあるのだろう。
 
世にB級映画というものがあるのは、厳然たる事実だ。昔の日本映画では、2本立て、3本立てが当たり前だったから、必ず抱き合わせの映画が必要だった。普通におもしろい映画は、やはりどこかよく出来ているから、低予算、短期決戦の映画でも、決してB級ではないと思う。大衆小説、時代小説というと、なにか純文学より格下みたいに聞こえるが、藤沢周平先生の時代小説の文体の馥郁たる気品とか、登場人物の潔さとか、女たちの心根のけなげさとかをこよなく愛し、勝手に私淑してる私に言わせれば、いいものは常にA級に不滅です。値段的に安めのB級グルメというのは、分かないでもないが、B級映画マニアというのは、よく分からん。
 
B級と言われるのには、それなりのワケがあるだろう。レコードのB面と一緒で、たいてい箸にも棒にもかからない映画だったりする。万人受けする普遍性というものがないのだ。とはいうものの、どんな映画でも、脚本家、監督、助監督、キャメラマン、音声、タイムキーパーなどのスタッフと主役、脇役のキャストがそこそこ要る。その人たちにも嫁さんや旦那さん、子供、親兄弟がいる。映画関係者の家族や親戚がいるワケでもなければ、監督とガキの頃からの刎頸の友でもないのだったら、わざわざおもしろくない映画を選って観なくてもいいんじゃないか。ポルノの場合は、使用目的が違うから、A級でもB級でもない。H級か・・・。しかし、いつからセックスのことをHというになったんだ?昔はスケベ親爺への非難のフレーズだったけれど・・・。
 
この映画のエド・ウッドは、ハリウッド史上最低の監督に選出されていたらしいから、監督としては、相当箸棒だったようだ。どんな映画を撮っていたのか、ちょっと観てみたい気もないこともないが、人生の残り時間が少なくなっているので、わざわざ駄作を観るために貴重(でもないが)な時間を割くワケにはいかない。そんなことするくらいだったら、愛猫の肉丘をさわっていた方がましだ。
 
で、B級映画監督の一時期を描いたこの映画も、観るべきか、観ざるべきか、悩んだ。しかし、監督がティム・バートンだったので、所在なげに本棚に並んでいるあまたのDVDパッケージの中から、晴れて陽の目を見たというワケだ。苦節10年、よく頑張った。 
 
何故、こんな愚にもつかないことを書き連ねているかというと、この映画、つっこみを入れるネタを思いつかないのだ。感動作でも、お涙頂戴話でもないのだが、なんとなく、けなしにくい。この映画のなかで、主人公の監督兼プロデューサー兼脚本家兼俳優のエド・ウッドは、糟糠の妻のようだった最初の彼女から「あんなつまらない映画、人生のムダだ」と言われていた。多分、時代を50年ほど先駆けた実験的手法を使いまくりのシュールな映画なんかでは全然なく、今観てもどうしようもない部類の駄作だったのだろう。しかし、エドは、実際一所懸命映画撮っていた。それも興行的に当たりそうなSFネタやら、ホラーものやらの映画を。決して芸術映画を狙っていたのではなさそうだ。
 
つらつら考えるに、一所懸命にモノを作ってる男(女も)に弱いのだ。『神は細部に宿る』という至言があるが、映画でも、音楽でも、小説でも、詩でも、どんなものでも、出来たものにチャチャ入れるのはカンタンだが、こつこつ細部を積み上げて、モノを作るのは手間がかかる。私のつっこみは、辻褄の合わないシナリオとか、監督のご都合主義とか、おかしなモノの考え方を反映している作品に対して、つっこんでいるのであって、つまらない作品はどこまで行ってもつまらないが、それを作った人の努力を貶める積もりはない。少しは貶めてるかも知れない・・・反省。
 
◆◆ネタバレ注意◆◆で、そろそろ映画の話に戻ろうか。このエド監督、女装癖があるのだが、二番目の彼女との初デートの最中に、停電になったお化け屋敷の中(結構恐いんじゃないか?)で、その性癖を告白するシーンで、思わず感動してしまった。(女装趣味はないよ。言っとくけれど・・・)何に感動したのかというと、「そんなこと、全然気にならない。あんたのこと好きだから」という彼女の返事にだ。ま、英語では「OK」と言っただけだったが・・・。
 
あの名作『お熱いのがお好き』のラストで、女装したジャック・レモンのカミングアウト(というよりバラシ)に対して、「完全な人間なんていない」との賜った金持ちのおじいちゃんの台詞に匹敵する。カミングアウトというのも、なかなか勇気がいることだろう。しかし、カミングアウトされた相手が、当事者として、それをしっかり受け止めるというのも、相当心が広くないと、出来ないことだ。◆解除◆
 
落ち目のドラキュラ役者役の役者も、なかなかいい味をだしていた。途中まで本人が出ているものだと思い込んでいた。あの役者、マーティン・ランドーは、この映画で、アカデミー賞の助演男優賞をもらった。しかも、あの「おはよう、フェルプス君。~このテープは自動的に消滅する」の『スパイ大作戦』で、いつも変装していた親爺ではないか。「お久しぶりですねぇ。エライ老けはりましたなぁ」
 
もうひとり、本人といえば、オーソン・ウェルズのそっくりさんは、そっくりだった。
 
エド・ウッドが製作・原作・脚本を担当した『死霊の盆踊り』という映画。なんという邦題じゃ?!しかし、原題も『Orgy of the Dead=死人の乱痴気騒ぎ』というから、あほらしさでは、どっこいどっこいだ。いや、まだしも、邦題の方がましかも知れない。「死霊」と「盆踊り」を組み合わせるなんて、常人ではなかなか発想できない。ほとんど、ロートレアモンの『マルドロールの歌』の「ミシン台の上のハサミと蝙蝠傘の出会いのように」に匹敵する。
 
お次は、同じバートン&デップコンビの『スリーピー・ホロウ』を観ようかな・・・。 
 
エド・ウッド ED WOOD(1994) アメリカ