『カリートの道』のラストは、ヒヤヒヤドキドキとは違う緊張感だった。

アル・パチーノは男気も色気もある役者だ。てっきりヤクザ稼業からすっかり足洗って、『セント・オブ・ウーマン』の退役軍人に宗旨替えしたのだと思っていたら、この映画の方が後で、頑固一徹の軍人からムショ帰りのヤクザに舞い戻っていた。しかし、こういうのは元の木阿弥とは言わないのかも。昔取った杵柄というのか、ヤクザ役はボス役でも、チンピラ役でも、自家薬籠中のものだろうから、やはりうまいもんだ。
 
1940年の生まれだからジョン・レノンと同い年だ。この映画の頃で53か。しかし、かっこいいねぇ。ただ、実年齢よりはかなり若めの役をやっていた(多分40過ぎといったところか)とはいうものの、相手役のおねぇさんと少々歳が開き過ぎじゃないかと思った。もう少し老け顔の女優さんでないと釣り合いが悪い。
 
ま、それは措いておいて、昔気質のヤクザ(ニューヨークにはイタリ人アマフィアとアフリカ系アメリカ人ギャングと中南米系ヒスパニックマフィアというのがいて、なかでも、ヒスパニック系の主人公は、ガキの頃から両陣営からの圧力をかけられて、生き残っていくのが大変だったみたい)だから、義理人情やら、一宿一飯の恩義やら、貸し借りやら、男気やらがまとわりついているもので、なかなか能天気には生きられない。
 
しかし、寄る年波には勝てないと実感したのか、「この歳まで生き残っていただけで、丸儲けだ」という心境を吐露したりする。まだまだタフとはいうものの、ちょいとばかし焼きが廻った感じだ。なんとか堅気になってやろうと思って、必死にもがくものの、運命のいたずらか、身から出た錆か、世の中そんなに甘くないというのか、努力が報われないというのか、いずれにしてもせつない話だ。神は彼を見放したのか・・・。
 
ムショに入っていた5年の間に、同じヒスパニックマフィアの若い者が台頭してきていたのだが、アル・パチーノはそいつをとことんチンピラ扱いしていて、相手にしない。アルの気持ちは、よく分かる。
 
もうひとりの主役、ショーン・ペンは、あのヘアースタイルで、丸いメガネをかけて出てきたら反則だや。メガネを外すシーンが来るまで、あのヤク中の悪徳弁護士が、ショーン・ペンだと分からなかった。
 
さすがハリウッドきっての演技派というか、見上げた役者根性というか、一晩であのカーリーヘアにしてきたらしい。1960年生まれだからこの映画の時は33か。ま、妥当な年齢設定だ。しかし、この役者もうまいもんだ。役になりきるというのか、こんな奴いそうだという、デジャブ感を観客に植え付ける。
 
アメリカのヤクザ映画は、『ゴッドファーザー』で、ある種頂点を極めたから、抗争メインの映画は撮りにくいだろう。この前観た『ギャング・オブ・ニューヨーク』も、この映画みたいに、せつない、やるせない系の映画にしてあったら、もう少し感動的だったかも・・・。
 
◆◆ネタバレ注意◆◆ラストは、グランド・セントラル・スーテーションが舞台だ。『フィッシャー・キング』のダンスシーンはなかなかよかったが、この映画では、駅構内でのドンパチだ。地下鉄のシーンから手に汗を握って、画面に食い入るように観てしまった。ムダのないカット割りといい、うまいカメラアングルといい、音響効果といい、如何にも映画職人の仕事だった。ま、最後は撃たれるというのは、映画の冒頭ですでに知っているから、逃げおおせるのだろうかのヒヤヒヤドキドキとは違う緊張感だ。◆解除◆ 
 
それにしても、人間、死ぬ前には、走馬燈のように過去のさまざまな出来事が目の前に現れるということだが、救急病院の担架に乗せられて、手術室へ向かうわずかな時間に、タップリ2時間半もかかる、とんでもなく長い回想が脳裏に浮かぶものだろうか?
 
この映画のタイトルは、『カリートの道』となっているが、原題の『Calito's Way』というのは『カリートのやり方』と違うか?いや、人生行路(そんな名前の漫才師がいたな。確か「責任者出てこい!」が決まり文句だった)とか、末路哀れとかもあるし、行き倒れのことを行路病者というし、『暗夜行路』というのもあるから、『カリートの路』でいいのかも・・・?
 
この映画には、2部作の原作があって、この映画で表現していたのは、第2部の『After Hours』の方で、第1部の『Calito's Way』は、主人公の20~30代の暴れん坊時代の話らしい。しかし、『After Hours』だったら、『めぐりあう時間たち』みたいに『過ぎ去った時間たち』みたいな邦題をつけるべきだろう。しかし、これだと男と女がすったもんだの末に別れた後日談みたいだ。
 
 
カリートの道 Carlito's Way(1993) アメリカ