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『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』は、なんとプラトン哲学の「饗宴」が元ネタなんだ。

決してお上品じゃないものがキライではない。はっきり言って、結構好きです。すんません。この映画も最初は興味本位で観ました。ロックンロールといったら、どちらかというとパッパラパーの音楽という世間のイメージがあるが(ないか?)、この映画の主題歌の「愛の期限」もとい、「愛の起源」という歌は、なんとプラトン哲学の「饗宴」が元ネタなんだ。この事実だけでも、如何にこの映画が高尚な映画かが窺い知れるというものだ。オフ・ブロードウエーで大ヒットしたロック・ミュージカルを映画化したらしいが、舞台の戯曲、映画の脚本、監督、主演とマルチな才能を発揮しているジョン・キャメロン・ミッチェルに1票。
 
◆◆ネタバレ注意◆◆ 『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』のヘドウィグは、主人公の旧東ドイツ出身のしがないロックシンガーのゲ・イ名だ。アンド・アングリーインチの方は、「怒れる1インチ」、つまり、性転換手術の失敗で残ってしまった(切り株といった人がいたが、うまい喩えに感心した)1インチというのだが、いくらもぐりの医者がオペしたといっても、そんな鈍くさいことが起こるのか?ちょん切って終わりというものでもないだろう・・・。
 
それと、高校生のボーイフレンド(?)がヘドウィグの下半身を触るまで、ゲ・イと気がつかなかったというのも、少々無理がある。いくらブロンドのカツラをつけていても、あのお顔を見たら、誰でも気がつくでしょう。しかも、お・っぱいもなかったし・・・。◆解除◆
 
ま、そんな些細なことはどうちでもいいくらいよかった。この映画の音楽はどちらかと言えば、グラムロックというのかビートルズよりローリング・ストーンズ系だが、抵抗なく受け入れられた。最近のご贔屓はトム・ウェイツだが、ミック・ジャガーみたいに、いつまでもシャープなプロポーションを維持し続けているというのも、凄い節制がいるのだろうと、頭が下がる。
 
アニメーションが効果的に使われていたが、映画ならではの表現手法をうまく活かしていた。こういう映画で、歌のシーンとドラマのシーンが順繰りに出てくるだけでは、「半身探しの旅」というテーマというか、メッセージがしっかり伝わらないと、ジョン・キャメロン・ミッチェルが思ったのだろう。あのアニメは、エミリー・ハプリーという女性アニメ・アーティストが描いているらしい。セル画を額装して、部屋に飾っておきたいくらいだ。
 
それから、スティーヴン・トラスクという人が作詞作曲(出演もしている)を担当しているようだが、あの哲学的な歌詞に曲までつけるのだから、大した才能だ。日本語では、なかなかあんな風にはいかないだろうと思っていたら、「三上の「ヘドウィグ」再演決定!」いう記事をネットで見つけた。といっても、2005年の記事だが、なんと日本でも舞台版の『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』をやっていたらしい。しかも、チケットが即日完売するくらい評判だったらしい。
 
出演:ジョン・キャメロン・ミッチェルマイケル・ピット、ミリアム・ショア、スティーヴン・トラスク