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『フェイク』は、アル・パチーノがへタレなヤクザ者を見事に演じ切ったことに感心した。

アル・パチーノが、レフティというあだ名のしけた中年マフィアを見事に演じていた。人を見る目はあるつもりだ。最初に出て来たときから、今回の役は、相当しょぼくれた男だと感じた。なにしろ初っ端から目が泳いでいた。この男、過去に26人も殺めている。抗争相手だったり、裏切り者だったりと、理由と相手はいろいろなんだが、大ボスから「殺れ」と言われたら黙って殺り、地道にしのぎもやってきて、それでも、ブルックリン地区を仕切る中ボスにはなれなかった。
 
マフィアのファミリー同士の抗争は、蛇蝎の争いという奴だ。一方が毒蛇で、他方が蠍なんだから、無辜の一般市民が巻き込まれない限り、お互いとことんやり合って、同士討ちしてくれるのが社会のためなんだが、FBIが、そこにいっちょ咬みして組織を壊滅させるために、囮捜査官として送りこまれたのが、おなじみジョニー・デップが演じるドニーだったという訳だ。
 
人に紹介されるときに、「my friend」といって紹介されると、そいつは紹介した男の舎弟でしかなく、「our friend」というときは、ファミリーの一員として認められている一人前の男ということらしい。それと、「forget about it」というのは、肯定にも否定にも罵倒にも使える。字幕では「クソ食らえ」と訳してあったけれど、「forget about it」は、「そのことは忘れろ=ごちゃごちゃ言うな=それはもういい」という意味と違うか?
 
さらに、呼び出されたときは消されるときというのも、不良グループに体育館の裏に呼び出されたら、ボコボコにされるというのと同じだ。ボコボコといえば、あの日本食レストランの日系人マネージャーは、なかなか気骨があったと思う。外国映画に出てくる日本人は、意味不明な薄笑いを浮かべているだけで、信念もプライドも感じられない奴がほとんどなんだが、あの親爺はマフィア相手によく言った。しかし、その結果はかなり悲惨だったが・・・。
 
◆◆ネタバレ注意◆◆ ジョニー・デップが、あのシーンで「ここはアメリカンなんだから、誰が靴くをぬぐものか。靴を脱げというのはパンツを脱げというのと一緒だ」と言って、靴を脱ぐのを嫌がったのは、靴の中に盗聴用の小型テープレコーダーを仕掛けていたからだ。靴を脱ぎたくない理由をくどくど言い募るのだが、図らずもアメリカ人の本音をしゃべっていたと思う。「戦争に勝ったのはアメリカなんだから、アメリカ人相手に商売をしたいのだったら、アメリカ流でやらんかい」という屁理屈だ。この屁理屈は、今や世界中で横行しているんじゃないか。 
 
もうひとつ。多くの人が感動したと言っている、ラストの「おまえなら、許せる」というレフティの台詞だが、あの親爺は、ホントにそんな意味のことを言ったのか?英語字幕では「if it was ganna anyone,I'm glad it was him」となっている。日本語吹き替えの方は「どうせこうなるなら、おまえでよかった」と訳しているが、これもちょっと違うんじゃないか。「どいつが来るにしても、彼(あいつ)だったらうれしい」というのが、英語のニュアンスに近いんじゃなかろうか。これって、レフティーは自分を殺しにくるヒットマンが、ドニーだろうと思いこんでいるということと違うか?それにしても、日本語吹き替えのアル・パチーノの声は、あれはアカン。本人が聞いたら気を悪くするぞ。 ◆解除◆
 
この映画のアル・パチーノが、渋いとか、哀愁があるとか、ジョニー・デップとの男の友情にほろっとするとかとう人が結構多いみたいだが、私は、アル・パチーノがへタレなヤクザもんを見事に演じ切ったことの方に感心してしまった。
 
カリートの道』のときは、まだカッコをつけていたが、この映画の中年ヤクザは、颯爽としたところは微塵もない。家の中ではジャージを着ている。マイアミの親分の前では、揉み手をしてへりくだる。
 
堅気とヤクザはどこが違うかというと、欲望にストレートなところだ。究極の目的は色と金で、その二つを手に入れるために、なりふり構わず無茶をするのがやくざ者と昔から相場が決まっている。そんなヘタレ男の感じがよくでてることに感心した。
 
最後に、この映画のタイトル『フェイク』だが、なんとこれは邦題なんだ。原題は『DONNIE BRASCO』だった。「ややこしいことをするな」とだけ言っておこう。ちなみに、「ややこしい」というのは「赤ん坊がやることように、意味もなければ、道理もなく、支離滅裂」ということで、「ややこ」が「赤ん坊」だってこと、知ってました?
 
フェイク DONNIE BRASCO (1997) アメリカ  
監督:マイク・ニューウェル