バレエ「くるみ割り人形」の吉田都嬢はパーフェクトだった。

イギリスのバーミンガムロイヤルバレエシアターの公演をDVD化したものだから、当然映画ではない。という訳で、今回は番外編。たいしたストーリーもないが、それでも、基本無言劇だから、登場人物の役柄はちょとばかし分かりにくい。
 
金持ちのお屋敷でクリスマスパーティーをやっているらしいというのは、なんとなく分かった。女の子(決して12・3才には見えない。無理を承知で若めに言って17、8才)がどこぞの親爺からお人形さんを貰って(何故くるみ割り人形なんかをクリスマスプレゼントに選んだのかの疑問はさておき)、それを弟(こちらは子供がやっていた)と取り合いをして、壊してしまったから、気になって、夜中に様子を見に来たら、(この設定も、やや無理がある)ネズミの人攫いグループ(このお話の時代設定は、20世紀初頭くらいだろうから、ロンドンの高級住宅街でもチュー太郎が夜になると、そこら中をうろちょろしていたのは、十分想像できる)に拉致されそうになって、それをくるみ割り人形とおもちゃの兵隊さんたちが撃退して、夢の島(じゃなくて、夢の国)に連れて行ってもらえるということらしかったが、いまいち飲み込めなかった。後で解説読んでやっと分かったって訳だ。しかし、このお話自体は、日本で言ったら、亀を助けて竜宮城へ行ったウラシマタローみたいなもんで、イギリス人なら結構知っているのかも知れない。 
 
不遜にも、第1幕は別になくてもいいんじゃないかと思った。これって、結局第2幕への伏線というか、お膳立てなので、幕前にあの子が出てきて、ざっと経緯を話して、すぐに2幕目を始めた方がいい(なんと偉そうに)。しかし、よくよく考えてみると、一部が劇で、2部がバラエティの2部構成とも言えるので、この構成自体は、どさ回りの大衆演劇もロイヤルバレエ団も大して変わらない、劇場での公演ものの不文律みたいなものなのかも知れない。たとえ一流アーティストの公演でも、高い金を払わされて、前座もなしで、30分で「はい、お終い」だったら、「金返せ!」と怒る客もいるだろう。 
 
この世に生を享けて60有余年、バレエを劇場で観たことはない。「トーク・トゥ・ハー」の看護士みたいに。バレエ教室を覗き見したこともない。バレリーナとつき合ったこともないし、バレエ好きの知り合いもいない。そんな、おおよそバレエと無縁のままで死んでゆくはずだったのが、この「くるみ割り人形」と巡り会ってしまったのも、運命のいたずらと言うべきだろう。「あいみての のちのこころにくらぶれば むかしはものをおもわざりけり」と言ったところか?ひょっとして、バレエ(あくまで鑑賞)にはまってしまったら、どうしよう・・・。
 
何故「くるみ割り人形」なのかというと、問題は吉田都嬢だ。以前にNHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」という番組に出ていたことがあった。あの番組を結構贔屓にしていた。特に、国際的に活躍している日本人というのに弱い。もちろんイチローや青木、本田、香川、錦織なんかのスポーツ選手もそうだが、この吉田都嬢のように、ヨーロッパ伝統芸術の牙城のようなバーミンガム・ロイヤル・バレエ団に殴り込んで(殴り込んだ訳ではないだろうが)、実力を認められてプリンシパルに抜擢され、大喝采を浴びたのだから、大したものだ。
 
イギリスで、日本人がバレエ団のプリンシパルに抜擢されるというのは、日本で、お能のシテ役にイギリス人のおにいさんが抜擢されたようなものか?バレエのレッスンは、世界中の子供がやっているが、お能の稽古は日本人でもほとんどやっていない。ま、柔道の無差別級チャンピオンに、オランダ人のヘーシンクがなったようなものか。例えが古いが・・・。
 
他にも、世界で活躍する日本人としては、MITで日本人として初の教授になったコンピューター研究者、イタリアの名門カロッェリア、ピニンファリーナのデザイン部門最高責任者になったデザイナー。安藤さんやら隈さんやらSANAAのお二人やらの建築家の面々と、世界に伍して戦ってる日本人が結構いるが、問題はこの吉田さんだ。名前を聞いたことも、顔を見たことも、もちろん踊りを観たこともなかった。まったくの門外漢だった。門から500マイルは離れている。とおの昔に故郷は捨てた身だ。これほどまでに、自分の中で問題視しなければならない理由はどこにもないはずだった。にもかかわらず、DVDを買ってしまった。しかも、それが「くるみ割り人形」だった。
 
当然チャイコフスキーも門外漢だ。「白鳥の湖」も「眠れる森の美女」もまともに聴いたことはない。それでも、「くるみ割り人形」の2幕目の何曲かは、耳になじみがあった。特に「ロシアの踊り」と「中国の踊り」と「花のワルツ」はよく知っている。ま、「ロシアの踊り」はいいとして、「中国の踊り」は想定外だった。あの曲のどこが中国なんだ。中国といえば、胡弓に銅鑼だろ。「花のワルツ」の方も、まるで合いの手のように「ちゃららった」と聞こえるメロディーが、何度も何度も繰り返されるのが、妙に耳にこびりついて、笑いの壷に入ってしまった。
 
そんな話はどうでもいい。問題はバレエだ。一糸乱れぬ群舞というと、キムさんのマスゲームを思い出すが、(ま、「一糸乱れぬ」より、「一糸纏わぬ」の方が好きなんだが)第2幕冒頭の群舞は、エレガントさが桁違いに違う。世界のトップクラスのバレエ団だけあって、群舞のダンサーもレベルが高い。決してその他大勢の端役と違う。足をあげる角度もジャンプのタイミングも宝塚並にぴたっと合う。この群舞は圧巻だった。次に続く数人のグループでの踊りも、それぞれに趣があってよかったのだが、ま。ラスベガスのショーもこんな感じかなという印象だった。
 
こんな不遜な私でも、最後の最後、結びの一番で、吉田都嬢が登場するグラン・パ・ド・ドゥでは、ついつい膝をぐいと前にのり出してしまって、イスから転げ落ちそうになった。それでも固唾をのんで画面を見つめ続けた。いやはや非の打ち所がない、完全無欠、パーフェクト。フィギュアスケートで言ったら、技術点も構成点もオール10点満点。4回転サルコウを完璧に跳んで最後までノーミスで滑り切ったみたいなもんだ。
 
吉田都嬢のバレエは、正確無比にしてエレガント。西洋人ほどは手足が長くないが、指先、つま先の端まで、神経が行き届いている。総身になんとかの逆だ。歌舞伎の見得と一緒で、ぴたっと決まるところでは、ぴたっと決まって、決してふらつかない。何よりも、体重がないのじゃないかと思うほど、身のこなしが軽やかだ。がさつな音がしない。
 
息を呑むとは、こういうことだろう。生身の人間が目の前で、何の補助装置もなしに、独楽みたいにくるくるまわったり、ジャンプしたり、持ち上げたり、降ろしたりする。それも音楽にぴったり合わして。ほとんどアイスダンスとか、フィギュアスケートのペアとかだ。ま、フィギュアスケートの方が、まねをしたのだろうが・・・。バレエといっても、アスリートでないとできないのだと思う。オリンピックの種目に入れてもいいのじゃないか?
 
確かに、香港映画お得意のワイヤーアクションも、スパイダーマンのCGも、生身の人間が舞台の上でライブでやっているのとは違う。ここがデジタルの限界というべきか、芸のすごいところというべきか。バレエダンサーを芸人呼ばわりしたら、怒られるかもしれないが、志ん生の噺も芸、能も狂言も歌舞伎も芸、バレエも芸、人に見せて楽しませる仕事は、すべからく芸だと思う。術は忍者にまかしておこうと。
 
くるみ割り人形 全2幕 (1994) 英国バーミンガム・ロイヤル・バレエ 
出演:吉田都  イレク・ムハメドフ他