『アメリ』で、私は、幸せにならなかった。

観る人みんなが幸せになる“アメリ現象”というのを起こした映画らしいが、私は幸せにはならなかった。この小娘のいたずらがまわりの人々に幸せをもたらしたのかもはなはだ疑わしい。この手の映画を「アメリがかわいかった」とぬかす若い奴も大いに疑わしい。確かにパリが舞台で、アップテンポな展開だから、最後まで退屈はしない。軽いノリで見てらいられる。いや、結構おもしろい。いけてるシーンもあるにはある。ブラックユーモアが随所に鏤められていて、そこがおもしろい。一見軽みと見えて、その実、黒々としたグロテスクなサムシングが背後にしっかりのたくっている感じがする。どうもこの監督一筋縄ではいかんと思ったら、『デリカテッセン』の監督だった。納得。
 
しか〜し、幸せな気にはならない。何が幸せなものか。幸せがそんなに簡単に手に入るものか。世の中に不幸の数は星の数ほどあるが、幸せを数えたら両手の指で余るというげはないか。いずれにしろ、アメリにどっぷりと感情移入出来ることがこの映画で幸せになれるか否かの分かれ目だと宣わく御仁もいるが、こちらは、こんな小娘に感情移入なんかできるか。冷めた目で、他人の迷惑を顧みないような度の過ぎたいたずらをついつい監視してしまう。監視するだけじゃなくて、機会があったらチクってやろうかとすら考える。こういう気分で映画を見るのはあまりない経験だ。
 
なんというか、うるさいPTAのおばさんの気分と言ったらいいのか。主人公のやることにいちいち違和感を持ちながら、次々にしでかすいたずらの首尾を厳しく監視している。主人公が若い女の子だという点では、『初恋のきた道』も同じだが、あの映画の場合は、主人公の行動を監視してるワケではなくて、こっちはオヤジだが、一緒に走ったり、水をくんだりしていた気がする。つまり、主人公に結構同化してた。この映画の場合は、同化どころか、「どうにかしろよこの小娘」という気分だった。
 
◆◆ネタバレ注意◆◆特に他人の部屋に無断で侵入していたずらを仕掛けるアメリは凶悪。ほとんど犯罪。スピード写真収集男の素性を暴くのはほとんどストーカー。お節介にもほどがある。◆解除◆
 
この映画でもそうだが、フランスの映画監督の作品には、ついていけないときが結構ある。かつてのヌーベルヴァーグの旗手たちもワケのわかない映画を量産していたが、近頃の監督はもっと手が込んでいるというか、きっとサブリミナル・ショットをそこら中に鏤めているんじゃないかと猜疑心の塊で画面を見つめてしまったりすることがあるのは、果たして私一人か。何故こんなことを言いだしたかというと、映画はエンターテイメントかアートかの古くて新しい問題に突き当たってしまったからだ。かってに突き当たったんだから、突き当たりを右か左に行ったらいいじゃんん。(そんな突き放したようなこと言うなよと、自分につっこんでどうする)その昔、アートシアターという観念的、難解ホークス的映画ばかり掛ける名画座があったが、どうもフランス人監督は観客を揶揄するのが好きなように感じられた。
 
これはなんなのか?『アートは万人に分かってもらう必要はないんだ。分かる人だけが分かればいいんだ』ということか?『東の果ての島国のオヤジが分かろうと分かろまいと知ったことじゃない』というのかか?いい根性してるじゃないか。なんだか、ひとりで激してしまった。いずれにしろ映画監督がアートに走ったらロクなことがない。あの黒澤しかり。せっかく金を払らって観ているのに、なんだかはぐらかされているような感じになる。こんなことなら観なければよかったと思ってしまうことすらある。この話題はここまで。 
 
あのアメリの親爺さんの家の庭にあった人形が世界中を旅して、そこいらじゅうからポラロイド送ってくるといういたずらも、いいかげんしろな話だ。あんな重いものを飛行機に積んで、世界中の名所まで持っていって、写真撮って出さな送らなければならないなんて、とんでもなく面倒だろう。いくら友達だといっても、かなりあつかましい要求じゃないか?映画にはなかったが、アメリが友達にこのいたずらの片棒を担ぐことを無理強いしているシーンを関西弁で再現してみた。。。
 
──────アメリが働いているカフェの隅の方の席──────
 
アメリ 『なぁ、頼むわ。あんたスッチァーデスやろ。スッチャーデスゆーたら、世界中いろんなとこ行けるねんやろ』
スチュワーデスとは最近は言わなくなってしまった。キャビンアテンダントというらしいが、ここはやはりスッチァーデス(以下スッチー)『そら、まあ、行けるけど・・・』
アメリ 『この人形(ここはニンギョと発音)そこら辺にちんと置いて写真撮ったら終いやんか』
スッチー『何ゆーてんのん。こんな重たいモン、あたし、よう持って歩かんわ』
アメリ 『あんたしかおらへんねん。うっとこのおとんが立ち直れるかどうかの最後のチャンスなんやから』
スッチー『なんであたしがあんたとこのお父さんの面倒みなあかんの?』
アメリ 『なにも、下(しも)の世話までみてくれゆーてへんやろ』
スッチー『誰がそんなもんみるかぁ。あほくさ』
アメリ 『わかった。ほな、こないしょ』
スッチー『こないしょて、どないすんのん?』
アメリ 『あんたとこに、ちょっとニヤケで、ぽーっとしたパーサーがおるやろ・・・』
スッチー『ニヤケで、ぽー、ピエールか?』
アメリ 『ピンポ~ン。あんたと不倫してるあの人に、ニンギョ運んでもろたらエエやン』
スッチー『・・・』
アメリ 『奥さん、まだ気ィついてへんねんやろか・・・?』
スッチー『・・・』
アメリ 『あんたらが同じフライトのときだけでええねんから。な?やってくれるやろ?』
スッチー『カンニンしてえな・・・(長い間)・・・どうしても嫌やゆーたら、どないすんのん?』
 
──────ここでアメリは例のいたずらっぽい目で、にやっと笑う──────
 
アメリ 『あんたは、ぜったい断らへんと思うわ。(間)あの人の奥さんお店によう来はるねん』
スッチー『・・・やるがな。やったらええねんやろ』
アメリ 『やらせてくださいやろ』
 
きっとこんな感じだったのだろう。二人ともかなりディープな大阪女っぽいけれど。。。
 
ところで、何年か前にネットの記事で読んだことがあるのだが、「ウナギトラベル」という旅行会社を起業した女性がいる。その会社は、旅行会社とはいうもの、お客はすべて「ぬいぐるみ」というユニークな会社だ。詳しいことはここでは書ききれないが。かいつまんで言えば、「ツアーの行き先に興味のあるお客さんをネットで募集して、ツアーに申し込んだお客さんから、その人が所有しているぬいぐるみ(ま、分身みたいなもの)を送ってもらい、何体かのぬいぐるみがそろったら、ツアーを開催する。彼女は添乗員として一緒に旅しながら、ぬいぐるみのツアー客の記念写真やスナップショットを、観光スポットで撮影して、随時自社のフェイスブックに掲載する。それを見るお客さんの方は、さも自分が旅しているような気分になれるということらしい。「ウナギトラベル」のウェブサイトを見ると、ハワイツアーなんてのもあった。なかなか面白いところに目をつけたと思うのだが、「継続は力なり」を実践してもらいたい。
 
アメリ Le FABULEUX DESTIN D'AMELIE POULAIN(2001)フランス
出演:オドレイ・トトゥマチュー・カソヴィッツ 、ヨランド・モロー