『ブエナ☆ビスタ☆ソシアル☆クラブ』には、目指すべき爺さんライフがあった。

 う~ん、このドキュメンタリー映画(?)はつっこめない。よすぎる。どうしてこんなにいいんだ?人生とは死ぬまでの暇つぶしだと看破した御仁がいたが、この映画にでてくる老ミュージシャンたちは、音楽を伴侶に人生を楽しみ尽くして死んじゃった(ギタリストで歌手のコンパイ・セグンドが、ハバナの自宅で亡くなったのは、95歳だったとか)という感じだ。映画としてのできはともかく、映っている町並み、部屋、人間、空気、木や花までが色彩豊かで自然だった(木や花が自然なのは当たり前だが)。
 
そのキューバが、アメリカと国交を回復するらしい。オバマ大統領の置き土産らしいが、あの大統領はキューバと国交を回復することで、後世まで名前を残したらしい。スパイ容疑で投獄されてた人も釈放された。今の内にキューバに行っておかないと、この映画のような古き良きキューバが急速に失われてしまうかもしれない。
 
キューバ音楽というと、東京キューバンボーイズというバンドがあったことを思い出す。どんな曲を演奏してたのかまったく覚えていないが、日活映画によく登場したナイトクラブやらダンスホールで演奏されるマンボとかルンバとかの曲が中心だったようだ。しかし、今回の映画で耳にしたキューバンミュージックは実に新鮮だった。日本人の疑似ラテンではなく、肉も血も体液もラテンの男や女が生み出すサウンドは、まさに南国の花々のように艶めき、カリブのきらめく太陽が創り出す光と影のくっきりとした輪郭を有していた。えらく文学的になってしまった。
 
楽器が演奏できないというコンプレックスを10代半ばで背負い込んで50有余年。いつかはセロ弾きのゴーシュになってやるという青雲の志も挫けまくり、いまだにギターひとつ弾けない。我が身の不甲斐なさを省みるに、この映画にでてくる男や女たちのなんと楽しげなことか。キューバ社会主義国とはいうものの、国民は典型的なラテン系だから、男は女を喜ばせるために生き、女は男を惹きつけるために生きているというプリミティブに当たり前の生き方をしているようだ。
 
日本の女たちは、近頃結婚願望を失ったらしい(ホントかね?)。30代~40代の独身女(昔で言えば行かず後家や)が増えている。彼女たちにすれば、一生連れ添うに値する男がいないことが独り身でい続ける最大の理由とか。確かに通勤電車の中でマン ガ本をむさぼるように読んでいる若い衆や小学生や中学生の女の子を拐かすような不埒な輩を見るにつけ、情けなく、苦々しく感じているのは私ひとりではないだろう。人前にもかかわらず化粧に没頭してるバカ女も含めて、彼ら彼女らは確かに気楽に生きているように見えるけれど、生を満喫してると言えるのか?死なずに生きている意味は何なのか?おっと、この問題に深入りするのはよそう。
 
で、まぁ、キューバの大御所ミュージシャンたちは、意気軒昂にカーネギーホールにまで進出するのだが、(ニューヨークのお上りさんシーンはヴィム・ヴェンダースのご愛敬)人生の余白に近い時間に、こんなにも輝かしい瞬間を手に入れることが出来た彼らがつくづくうらやましい。芸は身を助くとはいうものの、魂が紡ぎ出す音楽は実に素晴らしい。コンパイ・セグンドは、「この世の中で大事なのは、花と女とロマンスだ」と言い切り、不遇のときも人生を楽しみ、90才を過ぎても、酒も女も生涯現役(!)、いつもゆっくりと葉巻をくゆらし、ラムを傾けていた。『六然 by 崔後渠 』のラテン版といったところか。
 
 
自処超然(ちょうぜん)  ちょっと脱力系で、自分のことにはあまりこだわらず
処人藹然(あいぜん)   人に接するときは和やかにのびのびと、女には特にやさしく
有事斬然(ざんぜん)  何をするにも、うじうじしないできっぱりとやり
無事澄然(とうぜん)  何もなければ、カリブの海のように澄み切っている
得意澹然(たんぜん)   調子のいいときは、かえってあっさりしていて
失意泰然(たいぜん)  へこんだときも、ジタバタせずにゆったり構えている
 
 
目指すべきは、こんな爺さん。
 
 
ブエナ・ビスタ・ソシアル☆クラブ BUENA VISTA SOCIAL CLUB(1997)アメリカ
出演:キューバの老ミュージシャンたち ライ・クーダー