『ファントム・オブ・パラダイス』は、デ・パルマ監督の風変わりさが前面にでた映画だった。

全体にかなりいい加減で、かなりグロなのだが、下品というほどでもないという微妙なバランス感覚があった。「オペラ座の怪人」を奇才デ・パルマ監督がロックミュージカルに風アレンジした異色作という前評判で観たのだが、確かに異色だった。全体の印象としては、雑というか、半端というか、ちゃらんぽらんだった。そのちゃらんぽらんさ加減が、如何にも1975年当時のサブカルチャー、ロックミュージック界の半端な雰囲気をよく出していた。
 
特にバックコーラスの女の子やら観客役のエキストラ陣がおちゃらけたいい加減さを思いっきり出していた。「お前らも出演者だったら、少しは真剣に芝居せんかあ」と、イエローカードを出しそうになった。
 
確かに、当時のロックミュージック界、特にパンクロックなんかは、権威とか、エスタブリッシュメントとか、伝統芸能とか、秩序とか、公序良俗とか、育ちの良さとか、緻密さとか、落ち着きとか、情緒とかと、無縁というか、アンチっぽく対立していたのだから、ロックオペラを作ろうと思ったら、こんな感じになるのも頷ける。
 
「悪魔に魂を売った音楽プロデューサー」というこの小男、音楽のために魂を売ったワケではない。ドリアン・グレイのように永遠の若さと引き換えに魂を売ったんだ。『ブリキの太鼓』で、再び成長することを決心したオスカル少年が、大人になったらこんな感じじゃないかという気がした。 それと、どことなくあの故将軍様にも雰囲気が似ている。この男の変態趣味を満足させるために、「よろこび隊」のオーディションまでやっていた。どのシーンも、ちゃらんぽらんな撮り方なもので、うかっとしていると、どんなエピソードだったのか分からないままに次のシーンに行ってしまう。
 
◆◆ネタバレ注意◆◆ 主役のシンガーソングライターの男も、もともとがブ男系だったのに、奸計にはめられて放り込まれた刑務所で総銀歯にされたり、プレス機で顔面プレスを掛けられたりしたものだから、不気味系のご面相になってしまった。そこで、「ゴクラク座」の衣装部屋から「オペラ座の怪人」用だったんじゃないかと思われるマスクとマントの衣装一式をかっぱらって、この劇場に住みついたって訳だ。
 
そのうち、音楽プロデューサーときちんと契約して、「ゴクラク座」の屋根裏部屋でロックオペラの作曲を続けることになるのだが、シナリオは誰が書いてるんだ?演出家はいるのか?私自身は、オペラを観たことがないのだが、オペラって、全部の台詞に曲ついているのか?『シェルブールの雨傘』みたいなものか?そうだとしたら、主役の元(声をつぶされてしまったたから、歌えない)シンガーソングライターの男が歌詞も曲もストーリーも自分で書いていることになる。かなりの才能だ。
 
ロックオペラが完成すると、入り口を煉瓦で密封されるのだが、この若い衆、鉄製の扉と煉瓦の壁をぶち抜くほどの怪力を出して突破した。「お前は『マスク』のジム・キャリーか?」とつっこんでしまった。
 
それから、恋人を音楽プロデューサーに奪われたというけれど、あの娘は別に主人公と将来を誓い合ってたワケでもないだろう。主人公の勝手な思いこみというか、悲しき片思いじゃなかったのか?この娘と音楽プロデューサーの濡れ場というが、何とも目を背けたくなるようなこっぱ恥ずかしさだった。 
 
ブリキの太鼓』のときもちょっと小児ポルノと違うかみたいなシーンがあったが、このお二人の濡れ場も、あろうことか、男の方が胸揉みしだかれて悶えていた。この濡れ場を天窓から覗き見して、世をはかなんだ主人公が自殺を図るのだが、悪魔と契約している音楽プロデューサーと契約(俺が死ぬときはお前も道連れ、一蓮托生)してるものだから、死ぬに死ねない。ここはちょっと気のだった。◆解除◆この映画は、『キャリー』のデ・パルマ監督の風変わりさが前面にでた映画だった。
 
ファントム・オブ・パラダイス PHANTOM OF THE PARADISE (1975) アメリカ  
出演:ポール・ウィリアムス、ウィリアム・フィンレイ、ジェシカ・ハーパー、ジョージ・メモリ、ジェリット・グラハム