『地下鉄のザジ』は、喜劇として芯になる喜劇役者がいないから、全然笑えなかった。

一応スラップスティック・コメディということになっているが、全然笑えなかった。思うに、ルイ・マルという監督には、お客を笑わせてやろうというサービス精神も、笑いのツボを的確に押さえるコメディ・センスも、皆無なんだ。端から客が腹を抱えて笑うような喜劇映画を作ろうとは、思ってなかったみたいだが・・・。
 
話は、とんでもない出だしで始まる。ひとりの女(たぶん離婚したのかシングルマザーかのどちらかだ)が、10才の娘のザジィを連れてパリに出てくる。娘を親戚のおじさん(たぶん実の弟だろう)に預けて、自分は彼氏とアバンチュールを楽しもうというワケだ。
 
で、その親戚のおじさんが、態度のでかいところが大橋巨泉に似ているフィリップ・ノワレだ。その嫁さんのカルラ・マルリエは、バービー人形みたいに現実離れした別嬪さんだ。そのふたりのまわりに、けったいなおばさんやら、警官やら、靴の修理屋やら、タクシーの運ちゃんやら、オームを飼っている家主の親爺やら、ぽっちゃりのウエイトレスやら、ドイツ人の若い女グループやら、ちびのスリやら、馬面のシロクマの着ぐるみ男やら、有象無象の男女がうじゃうじゃ出てきて、ナンセンスな大人の馬鹿騒ぎを繰り広げる。ところが、これが一向に面白くない。やっている役者も喜劇俳優じゃないから、笑いのツボが分かっていない。
 
この映画、一言で言えば、学生の自主製作映画なんかによくある、スベリまくるどたばた喜劇だ。たぶん、この監督、チャップリンキートンマルクス・ブラザースなんかのどたばた映画を観て、ハリウッドのお家芸のようなスラップスティック・コメディに対抗して、フランスならではのエスプリを入れてやると密かに思ったのだろう。しかし、失敗したけれど・・・。
 
◆◆ネタバレ注意◆◆別にネタバレでも何でもないが、この映画では、エッフェル塔のシーンだけが見物だった。エッフェル塔の展望台があんな吹きっさらしになっているのか、むき出しのらせん階段を登ったり、降りたりできるのだろうか?登ったことないから知らない。はっきり言って、エッフェル塔どころかエンパイア・ステートビルもシアーズタワーも東京タワーも通天閣も登ったことない。もちろん、スカイツリーも浅草の吾妻橋から眺めただけだ。これまでに登った一番高い建造物は、小学生のときの大阪城天守閣だったが、3・4年前に、池袋の「サンシャイン60」の展望台に登った、あそこは、びっくりするくらい昭和な匂いがプンプンしていた。さらに、この前「あべのハルカス」の展望台に登ってしまった。こっちは、さすがに平成の雰囲気バリバリだったが・・・。「アホと煙は高いとこ登る」と昔から言われているが、いざ登ってみると、ある種の浮遊感というか、下界の眺めは、なんとなく現実離れして見える。これだったら、エンパイア・ステートビルもシアーズタワーも東京タワーも通天閣も登っておいたらよかった。◆解除◆
 
若い頃に、この映画のタイトルだけは知っていたが、実際に見たのは、今回が初めてだった。ルイ・マルは、なんと言っても『死刑台のエレベータ』がよかった。それ以外は、どれももうひとつだ。一発屋だったんだ。芥川賞をもらったあと、鳴かず飛ばずの作家みたいだ。
 
しかし、こういう映画は、『勝手にしやがれ』でもそうだったが、1960年当時の日本人にとっては、パリが舞台というだけで、おしゃれな映画に見えたんだろうな。当時のパリの景観は、今でも結構おしゃれっぽい。地下鉄がストライキ中という設定だったから、パリ中にフランス車があふれかえっている。宮崎駿さんのような古いフランス車好きにはたまらないだろう。あのタクシーも、運転席だけがオープンになっていた。あんなタクシー、ホントに走ってたのか?セーヌ川からバケツで水をくんで、洗車している奴までいた。 
 
フランス映画は、気が利いているのか、いないのか、よく分からない。場面展開の早さとか、セットの奇抜さとか、早回しやら、スローやら、コマ落としやらのテクニックは使いまくっているが、喜劇として、芯になる喜劇役者がいないから、この映画はダメなのだ。馬鹿騒ぎを見せられるのも、少しくらいは構わないが、しつこくやられるといい加減にしろという気になる。10才の子供が主役(?)だから、そんな子に芸をしろって言っても無理だ。まわりを腕こきのコメディアンで固めなければならない。そうでないと喜劇にはならない。喜劇は喜劇役者の芸の力がはっきり出るのだから。 
 
『地下鉄の中のザジィ』という原題なんだが、最後の方に地下鉄に乗るシーンがちらっと出てきただけだった。何故こんなタイトルをつけたのか? しかも、邦題の『地下鉄のザジ』だったら、『港のマリー』みたく、ザジという名前の地下鉄で出会った謎めいた少女とのラブロマンスと勘違いする奴が出てこないか・・・?。
 
おまけ
この映画で、米軍の放出品として、のみの市でジーンズを売っていたが、ちょうど60年代は、日本でもジーンズ(当時はジーパンと言ったが)は米軍放出品の店で売っていた。ベルボトムのジーパンとベトナムジャケットの組み合わせは、70年前後の一部大学生の制服のようなものだった。しかし、私はラッパズボンが美意識的に受け入れ難かった(短足で似合わなかったせいもあるが)から、もっぱらストレートジーンズを履いていた。米軍放出品の店でも、本物のアメリカ製衣料品ばかりを売っていたワケではない。半分くらいは粗悪な国産品だった。輸入物のLevi'sや Leeは古着でも結構高かった。まだまだMADE IN JAPANは、安かろう悪かろうの時代だった。 
 
もひとつおまけ
フィリップ・ノワレといえば、『ニュー・シネマ・パラダイス』の撮影技師の親爺さんじゃないか。ころっと忘れていた。しかし、この映画のときは、まだ30くらいかな。それにしても、この役者、ぼさっとしたところが持ち味だったのかな。。。老けてからは、いい味になってきていたが、若いうちは、もう少し切れがよくないとダメなんじゃないと思うが・・・。
 
地下鉄のザジ(1960)フランス ZAZIE DANS LE METRO 
監督:ルイ・マル 
出演:カトリーヌ・ドモンジョ、フィリップ・ノワレ、カルラ・マルリエ