『東京画』は、小津安に捧げたおまんじゅうじゃなくて、オマージュ映画だ。

小津安二郎大好きのヴィム・ヴェンダースが小津安に捧げたおまんじゅうじゃなくて、オマージュ映画だ。こういう映画につっこみを入れても仕方がないが、ま、普通の映画館で、お金を払って見るような映画ではない。小津安特集の上映会とか、生誕100年記念特番として、TV放映される類の映画だった。
 
1985年製作になっているが、1983年の撮影だとかで、当時の東京の画(イメージ)がいっぱい出てくる。ロードムービーが得意な監督が撮影した風景だから、如何にもそれらしい。 『都会のアリス』で、エンパイアステートビルに登っていたこの監督は、お約束のように東京タワーにも登っている。
 
また、日本に関心のある外国人が興味を示しそうな代物が次々と出てくる。ロウで作る食品サンプルの製造現場やらパチンコ屋(釘師の仕事ぶりまで紹介していた)、ゴルフ練習場、人通りの絶えた夜更けの飲屋街、青山墓地の花見客、3角ベースをする子供、新幹線、どう見ても顔はジャパニーズなんだが、アメリカの50年代ファッションに身を包んでツイストを踊りまくっている原宿の何とか族の若い衆たち(彼らも今はもう50前のおっちゃん、おばちゃんだ)、工事現場、派手なネオンサイン、タクシーの中のテレビと、われわれ日本人にとっては、いつかきた道、あの頃映像のオンパレードだ。 
 
しかし、この映像の中にあって、今や絶滅してしまったものと言えば、3画ベースとなんとか族とブラウン管TVくらいか。夜更けの繁華街は、いつまでたっても人通りが絶えなくなってしまった。それにしても、1983年から30年以上も経っているのだから、スクラップ&ビルドの劇しい東京の街並みが変貌するのは仕方がない。
 
このドキュメンタリー映画を観ていて、遠い昔の日本、遥か昔の東京という感じはあまりしなかった。70年代初めの大阪万博の記録映画などを見ると、二昔も三昔も前の日本という印象があるが、この映画に映し出されている80年代の日本を見ると、確かにこの時代の延長線上に、現在の日本があることが分かる。バブルの前の東京には、普通の顔つきをした老若男女がいた。金髪・コスプレ・鼻ピアスはまだいなかった。
 
戦後生まれが人口の半分を超えたのは75年(50.6%)らしいが、71年以降に生まれた、いわゆる「団塊ジュニア以降の世代」も、94年には29.9%と総人口の約3分の1を占めることになる。戦後ずっと地方出身者の町だった東京が、やっと東京生まれ、東京育ちの東京人の街になりつつあったのが、この頃なんだろう。 
 
確かに、フェンダーミラーは野暮ったかったが、80年代以降の日本車のデザインは、現在見てもそんなに古くささを感じない。これが70年代初めだと、目を覆うほどにダサい。ウオークマンもすでに世に現れていたし、一眼レフカメラも世界中で売れまくっていた。つまり、日本の工業製品が、かつての「安からろう、悪かろう」から、名実ともに世界に通用するブランド商品になったのも80年代初めだ。東京や大阪では、都市機能のインフラもほとんど整って来て、生活基盤の面でも、現在と隔世の感はさほどない。この時代になくて、現在の世界を席巻しているのは、スマホに代表されるインターネットだろう。
 
ヴィム・ヴェンダーは、小津が描いた日本も、日本人の暮らしも、このドキュメント映画の時点で、すでに失われてしまっていると嘆いていたが、この映画を観て、私が感じたのは、ノスタルジックな懐かしさでもなければ、昔の身内の写真を見せつけられたときに感じるような恥ずかしくて赤面するというような恥の感覚でもない。
 
この頃から現在までの30年は、その間にバブル景気と崩壊、その後の失われた20年があった。日本が経済成長率NO.1の座から滑り落ち、円高デフレスパイラルの急降下不況に陥り、東京や大阪は地上げで歯抜けの町が出来あがり、阪神淡路大震災オウム真理教サリンテロが引き続いて起こり、携帯電話やスマホの登場が、パーソナルなコミュニケーションのカタチを根底から変え、さらに、民主党政権が政治ぐちゃぐちゃにし、東日本大震災の大津波福島第一原発の事故が追い打ちを掛け、やっと安倍政権になって、どん底から再生の兆しが見えかけてきた今日この頃だ。それでも東京は目覚ましく発展した。
 
世界は明らかに変わった。日本も変わった。しかし、現在の日本人のアイデンティティは、80年代に根っこがあって、その延長線上で、現在も日々の暮らしが営まれている。本質的には80年代から何にも変わってない。もちろん、都庁も六本木ヒルズスカイツリーも出来ていないから、町の景観は今の東京と同じではないが、庶民の暮らしレベルでは、インターネットの普及以外(とは言うものの。これは相当強烈な変化だ)は、何ほども変わっていないことを再確認出来た。ちなみに、この年、ファミコンが売り出され、東京ディズニーランドが開園したらしい。
 
◆◆ネタバレ注意◆◆小津映画ファンにとってのこの映画の白眉は、戦後の小津作品のほとんどを撮影した厚田雄春さんへのインタビューだろう。例の猫の目アングルのための三脚の実物やら、監督は50mmのレンズしか使わなかった話やら、一旦フレームを決めるとパンやらズームアップは一切させなかったことやら、ロケには常にゴザ(寝転がって撮影しないといけないから)を持って行ったことなど、小津映画の素人にとっても、面白いエピソードをいろいろ話してくれる。もう一人の俳優の笠智衆も、相変わらず淡々と、小津は細部にわたって自分のイメージどおりになるまで何度も何度もテストを繰り返させられたと語っていた。◆解除◆
 
小津安の墓碑銘が『無』だったり、フランス語版の『東京物語』の題は『Tour a Tokyo』だったりすることを初めて知った。映画の筋からすると、この『東京への旅』の方が、合っているんじゃないかと妙に納得した。
  
東京画 (1985)西ドイツ TOKYO-GA