『ラスベガスをやっつけろ』は、エンドロールを心待ちにしてしまった。この映画はおすすめしません。

お下品ものも、アブナそうなのも、とんでもないものも、決してキライではないが、ズルズル、べちょべちょのエイリアンもの、ゾンビーものだけは、生理的に受けつない。
 
最近はちょっと女性向け映画ばかり観ていたキライがあるので、(嫁さんと一緒にDVD観ることが多かったからだ。嫁さんの前では、常識人を装っている関係上)ちょっと毛色の変わった激しいのを観てみようじゃないかと思った。「ポルノ映画も、バイオレンス映画も、怨念映画も、変態映画も、ホラーも、アラーも、キリストも、撮りたい監督がいて、観たい観客がいるのだから、なんでもかんでもオッケイだ。表現の自由だ。趣味の問題だ。映画は娯楽だ」という意見があるかも知れないが、この映画はちょっと問題ありだった。
 
テリー・ギリアム監督の映画では、『未来世紀ブラジル』でも、『12モンキーズ』でも、『フィッシャーキング』でも、ある種の狂気が描かれていた。この監督、なんとも狂気が大好きのようだが、いずれの映画も、ドラッグでトリップしてる話ではなかった。(こういう映画をドラッグ・ムービーというらしい)しかるに、この映画では、ドラッグ中毒の男が主人公で、その男の幻覚を視覚化してあるところが、根本的に前3作と違うところだ。
 
◆◆ネタバレ注意◆◆初っ端からとんでもなかった。主人公は自分のまわりを飛び交っているコウモリを叩き落とそうと、蠅叩きを振り回している。ここで、一時停止だ。◆解除◆(気色悪い系の映画は苦手だから、観るの止めようかと思ったりした)常軌を逸した主人公の行為は、映画の重要な要素と言える。一般ピープルが、実生活ではなかなか体験できないような、想像を絶する出来事を疑似体験させるという、機能というか効能が映画にはあるが、あくまで、観客として第三者的にドラマを眺めているのであって、自身が出来事の渦中に放り込まれるワケではない。
 
しかるに、ジャンキーの幻覚を視覚化した映像を見せるというのは、観客が幻覚の中に放り込まれるワケだ。ドラッグはサイコーと持ち上げているとまでは言わないにしても、ある種の潜在意識を観客に植え付ける。サブリミナル効果みたいなものか。ドラッグの幻覚って、こんな感じだと眼前に繰り広げて見せられたら、一遍自分もやってみたいと思うノータリンがでてくる。何が言いたい歯がいたい。つまり、薬物による幻覚を視覚化した映画は好かないということだ。
 
こんなバッド・トリップ、自分もやりたいとは思わないから、別にかまわないんじゃないという人もいるだろう。しかし、バッドであろうと、グッドであろうと、ドラッグ体験の再現を売り物にした映画は、レイプや快楽殺人を興味本位で描いた映画と一緒で、映画作りの禁じ手だと思う。
 
気を取り直して再挑戦。なんの用か知らないが、標準体重を大幅にオーバーした中年男(『バスキア』のときから、結構存在感があったが、この腹ボテ親爺がベニチオ・デル・トロと同一人物だとは思えなかった)と頭頂部全面の毛髪力がなくなってしまった若い男(ジョニー・デップが頭を丸めて出てくるとは、大した役者根性だ)のふたり組がラスベガスへ向かっている。ど派手な赤のコンバーチブルだ。この手のオープンカーが出てくるだけで、パッパラパーのヤンキー映画という感じだ。あんなにラリっていて、ホテルにチェックインできたのが不思議なくらいだが、ひとまずホテルのスイートルームに投宿した。
 
周りの客がハ虫類に見えるホテルのバーのシーンは、『スターウォーズ』の酒場のシーンと大して変わらない。モノのカタチがグニューっと変形するというのも、『マスク』でおなじみだ。ドラッグ・ムービー恐るるに足らず。しかも、幻覚の映像化はこの辺りまでで、この後は、ふたりの男のご乱行が交互にでてくる。片方がラリっていると、もう片方は、都合よく冷めているので、最悪の事態には、立ち至らないというのも、なんとなく、監督のご都合主義っぽい。
 
そのホテルを逃げ出して、車も買い換え(今度は純白のコンバーチブル)、次のホテルに移るのだが、ここらで、この映画のテーマがさっぱり分からなくなってくる。相変わらずの愚行、乱痴気騒ぎの連続だ。確かに、薬でぶっ飛んでいる男はこんな感じかとは思うのだが、次第に飽きてくる。一体全体、お前は何が言いたいんだ?主人公とおぼしき男の声でナレーションが入るのだが、この男、自身のはちゃめちゃな行いを反省しているふうでもない。早やく終わらないかと、エンドロールを心待ちにしてしまった。この映画はおすすめしません。
 
ラスベガスが舞台の映画といえば、『リービング・ラスベガス』を思い出したが、あの映画は、アル中の親爺がひたすら酒を飲み続けるという話だった。ラスベガスは常軌を逸した親爺が主役の映画の舞台として、うってつけのようだ。街自体が浮世離れしていて、張りぼて金のシャチホコみたいにインチキくさいからだろう。
 
原題の『FEAR AND LOATHING IN LAS VEGAS 』は、直訳すると『ラスベガスでの恐怖と嫌悪』か。このタイトルが、なぜ邦題の『ラスベガスをやっつけろ』になったのか?日本の映画配給会社の思慮の浅さというか、軽薄振りが窺われる好例だ。『ラスベガス、とっても恐くて嫌なとこ』と訳すけれど。
 
ジョニー・デップという役者も相当なタマだ。『12モンキーズ』のブラッド・ピットと、どちらが曲者か?私は、ジャック・ニコルソンに一票。
   
ラスベガスをやっつけろ(1998)アメリカ FEAR AND LOATHING IN LAS VEGAS