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『スモーク』は、ワケアリの人生模様をその場に立ち会って観ている感じだった。

いやはや、思いきりタバコを喫いまくっていた。この映画でタバコを喫っていなかったのは、17歳のアフリカ系アメリカ人のボウズだけじゃなかったか・・・。ま、樽ビッシュ君の例もあるから、私生活では喫っていたかも知れんが。。。
 
しかし、かく言う私も、10数年前までヘビー級スモーカーだった。1日3~4箱は喫っていただろう。ほとんど蒸気機関車状態だった。それが、ある日、自分の吐いたケムリがどうにも煙たくなったので、やめた。
 
今やタバコを喫う方が、カッコ悪くなってしまった感があるが、この映画が公開された1990年頃は、まだまだタバコを喫うのがかっこよかった頃で、アメリカでも、おおっぴらにタバコが喫えた時代だ。
 
映画の舞台になっているブルックリンの街角にあるタバコ屋(といっても、おばさんがぽつねんと座っているだけで、お客さんに愛想を言うわけでもなく、どちらかというと自動販売機に商売をしてもらっているような日本のタバコ屋と違って、コンビニみたいな感じの店だっていうか、もろにコンビニだ)このタバコ屋の親爺と常連客の作家とその作家の部屋で二宿二飯の恩義にあずかった17歳のおにいちゃんの、3人にまつわるワケアリの人生模様が繰り広げられる。ま、しみじみした映画だった。 
 
◆◆ネタバレ注意◆◆ なんと言っても印象深かったのは、タバコ屋の親爺の、昔ワケアリだったが、すったもんだの末に別れてしまった女(片目アイパッチのハンディキャッパーなんだが、イヤなものを見過ぎてこうなったと言っていた)とその娘(あんたの娘かも知れないと言われても、18年も前のめくるめく一夜に責任もてないだろ)との初体面でのヤク中の娘からの一方的罵倒というか、親の心子知らず娘のエピソードだった。親子の繋がりのはかなさというか、お互い自分のまわりの現実と向き合って生きることしか出来ない人生の、やるせなさのようなものがひしひしと感じられた。親に向かって、あんな罵詈雑言を並べ立てる娘に同情の余地があるのだろうか?あの娘、親を追い帰した後で、泣きかけていたみたいだけど・・・。
 
もうひとつの、赤ん坊のときに蒸発してしまった親父(こっちも片腕義手のハンディキャッパーなんだが、交通事故で神さまに左腕を持っていかれたらしい)と17歳の少年との再会のエピソードは、まわりの親爺たちがこの少年の身になって、いろいろと世話をやいてくれたから、愁嘆場にはならなかった。17歳にしては、あのボウズ、随分しっかりしていたな。あの親父役の俳優、『ゴーストドッグ』の日本びいき武士道大好きヒットマンをやってたフォレスト・ウィッテカーじゃないか。◆解除◆
 
アメリカ人は、18歳での親離れ子離れが当たり前なので、<引きこもり>になる若い衆がほとんどいないという話をどこかで読んだ。その代わり、若年ホームレスが結構いるらしい。しかし、いい歳をして、家の中に引き込もって、親に面倒掛け倒しているガキ大人より、さっさと家から出ていって、どこかでのたれ死にされる方がマシだと思う。親が子供に過大な期待をするのもイカンが、大きくなった子供が親に期待するのは、もっとイカン。
 
ザコンファザコンファミコンも合コンもロクなもんじゃない。「子供より親が大事」と言った太宰治に1票入れておこう。
 
この映画、登場人物の誰かひとりに感情移入して観るというより、ほとんどのシーンのカメラのレンズ位置が1メートル70センチくらいの高さなので、ちょうどその場に自分も立ち会って観ている感じだった。近所の爺さんのちょっとした揉め事の場面に、たまたま居合わせたという感じだ。
 
◆◆ネタバレ注意◆◆しかし、映画の背景はやはりブルックリンで、日本では、ああはいかないだろう。ラストの、タバコ屋の親爺さんのクリスマス・ストーリーのモノクロ再現フィルム部分は、絶対に混じり合わない世界が一瞬混じり合ったという、如何にもニューヨークが舞台のアメリカ映画らしい、いいエピソードだった。 
 
この映画、ご贔屓のトム・ウェイツの歌が、また決まっていた。特にラストのモノクロ再現フィルム部分は、サイレントムービーなので、トム・ウェイツの『Innocent when you dream』という歌が延々流れるのだが、ぐっと来てしまった。◆解除◆
 
スモーク SMOKE (1995) アメリカ