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「男はつらいよ 寅次郎相合い傘」は、寅さん映画の白眉と言っても過言ではない。

「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人なり」とは、よく言ったものだ。「片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず」という訳で、ひとり旅に出ようと思っている。というのは真っ赤な嘘で、DVDの在庫がどんどん増えて、今や未見の映画が200本以上溜ってしまった。このペースでは、在庫分を観終わるのにあと1年くらい掛かかり宗谷岬なので、必死のパッチで観続けなければならない。
 
しょっちゅう旅に出ているといったら、寅さんだ。この映画は1975年の製作だから、40年前だ。寅さんもまだまだ若かった。マドンナ役のリリーこと、浅丘ルリ子さまも、お美しかった。
 
寅さんだけは、20過ぎの頃から1982年製作の第29作「寅次郎あじさいの恋」あたりまで、映画館で欠かさず観ていた。その後は、熱心なファンではなくなってしまった。ちょうど映画館にあまり行かなくなった頃と合致する。そのうち、映画はもっぱらレンタルビデオで観るようになってしまった。一方、寅さんは、実年齢より遙かに若そうなまま、旅から旅のその日暮らしを続けていたが、こちらは、嫁さんと二人のいたいけな幼子を抱えて悪戦苦闘、刻苦勉励、臥薪嘗胆、奮闘努力、疾風怒濤、序破急急、波瀾万丈、青天霹靂、驚天動地、切歯扼腕、青息吐息、じっと我慢の地道な堅気暮らしだった。寅さんのような自由気ままな旅がらすとちがって、しがない給料鳥で、朝出かけて夜遅く帰宅するまで、休日出勤もしょっちゅうで、連日14~5時間労働を続けてた。今なら間違いなくブラック企業だ。
 
あの頃はまだまだ無理がきいた。最近は老骨に鞭打ってもすぐに腰砕けだ。夕方6時頃になると、お尻がむずむずしてきて、頭がぼーっとしてきて、目がかすんできて、さっさと帰宅部になってしまった。帰宅途中に、キャバクラに引っかかる訳でもなく、すんなりご帰還だったのだが、鉄砲玉の嫁さんは、どこぞに遊びに出掛けていて、まだ帰っとらん。玄関に迎えてくれるのは、愛猫だけだったのだが、その愛猫も、ついこの前、天寿を全うして急逝してしまった。合掌。
 
帰る所はあるとは言っても、灯りもついてなく、猫も迎えてくれない。さくらやおいちゃん、おばちゃんのいる葛飾柴又に、いつふらっと帰って来ても、みんなが温かく迎えてくれる寅さんとは、大違いだ。こんな酷い仕打ちされても、へこたれへんぞっ!とばかりに、最近では、帰宅途中に旨いものを食べまくっている。
 
映画の話に戻ると、このリリー4部作の第2作は、寅さん映画の白眉と言っても過言ではない。第11作「寅次郎忘れな草」のラストで、寿司屋の女将さんになってしまっていたリリーに、「やっぱり、リリーも堅気の暮らしがいいのか」とちょっと失望したのだが、この映画では、しっかりデラシネの女旅がらすに舞い戻っていた。
 
リリーは、浅丘ルリ子のはまり役で、浅丘ルリ子以外のリリーは考えられない。分け隔てのない優しさの持ち主にして、男勝りの自主独立の気概が同居している。さっぱりとした気性で、お上品じゃないが、決して下品ではない。「女版六然」の境地だ。リリーは、どさ回りのキャバレー歌手という設定だが、キャバレーというものが前世紀の遺物化してしまった現在では、絶滅危惧種かもしれないが、昔は旅回りの売れない歌手というのが、結構いたみたいだ。個人的には知らないが・・・。
 
自処超然(ちょうぜん)  ちょっと脱力系で、自分のことにはあまりこだわらず
処人藹然(あいぜん)   人に接するときは和やかにのびのびと、誰にでもやさしく
有事斬然(ざんぜん)  何をするにも、うじうじしないできっぱりとやり
無事澄然(とうぜん)  何もなければ、カリブの海のように澄み切っている
得意澹然(たんぜん)   調子のいいときは、かえってあっさりしていて
失意泰然(たいぜん)  へこんだときも、ジタバタせずにゆったり構えている
 
へこんだときだけは、さすがに女だから、結構ヒステリーを起こしてぶち切れる。ひたすら我慢というか、やせ我慢というのは、しがない中年リーマン男の専売特許かも試練。事なかれ主義とも言えるが・・・。リリーの孤独感は、寅さんの孤独感より、ずっと重く、深かった。女三界に家なしだから、仕方がないと言ったら、それまでなんだが、寅さんが、いつでも柴又に帰って来られるのに反して、リリーは、帰るべき故郷を持っていない。当然のように、リリーは、家族の温かさ、穏やかな家庭、地道な堅気の暮らしに飢えている。自分を捨てた母親との葛藤は、寅さんにもあったが、リリーの実の母親へのアンビバレントな感情は、想像を絶するほどに暗かった。
 
リリーも、寅さんも、堅気ではない、キャバレー歌手も、テキ屋も、やくざな稼業というか遊び人(=自由業)だから、遊び人ならではの、特有のニオイみたいなもんが、身体に染みついてるのだろう。ゲイや、本物のやくざが、同類を嗅ぎ分けるのと、似たたようなものか。「寅次郎忘れな草」で、最初に出会ったときから、ふたりの間には、仲間意識があった。
 
そんなふたりともう一人、蒸発した堅気のサラリーマン、トッチャンボウヤのパパが加わって、男ふたりと女一人の道行きが始まるのだが、このロードムービー部分は、めちゃくちゃよかった。誰もがあこがれる非日常の気ままなその日暮らし、その舞台が北海道の大地であれば、ロマンチックな気分満点だ。しかし、3人の珍道中の終わりは、突然やって来た。例のごとく、寅さんがリリーをいたく傷つけるデリカシーのない暴言を吐いて、リリーが腹を立てて去っていった。この時の寅さんは、まさに柴又のおいちゃんやおばちゃんに悪態をつくのと同じパターンで、リリーに心を許しているから、つい悪い冗談が口をついて出てしまったのだろう。寅さんのことを『心優しきエゴイスト』と喝破した人がいるが、この大人げない嗜虐性は、子供が親に悪態をつくのに、よく似ている。
 
ただ、初めてこの映画を観たときは、あのシーンの後、リリーの鞄を持って追っかけて行ったパパが、リリーのマネージャーになって、この先いっしょにどさ回りを続けていくもんだと思っていたら、案外あっさり、パパは家に戻ってしまった。たぶんリリーと何日間かは行動を共にしてたのだが、寅さんがいなくなると、リリーとの1対1の関係では、気詰まりな場面も出てきて、そのうち、リリーが稼いだギャラから、「もう家に帰ってあげなさい」と、帰りの汽車賃を渡されたんだろう。堅気のパパには、旅から旅のその日暮らしは、やはり、しんどかっのだろう。
 
この映画で、「私みたいな女でよかったら」と、寅さんと結婚してもいいと言うリリーの言葉を、寅さんが冗談にしてしまい、傷心のリリーが、「とらや」を出て行ってから、「寅次郎ハイビスカスの花」で、ふたりが再会するまでに、5年の歳月が必要だった。我々のような傍観者も、首を長くして、再会の時が巡り来るのを待っていたものだ。
 
寅さん映画の中では、第5作「望郷編」、第6作「純情編」、第8作「寅次郎 恋歌」、第10作「寅次郎 夢枕」、第11作「寅次郎 忘れな草」、第17作「寅次郎 夕焼け小焼け」、第25作「寅次郎 ハイビスカスの花」、第27作 「浪花の恋の寅次郎」といったところがお気に入りだ。どちらかというと、マドンナが、良家のお嬢さんや後家さんではなく、寅さんサイドの水商売とか、浮き草稼業の場合の方が、ご贔屓だ。
 
寅さんこと、渥美清が亡くなったのは1996年8月4日、享年68、もう19年になるのか・・・。そういえば、リリー4部作の最後というか、シリーズ最終作というか、結局遺作になった「寅次郎 紅の花」で阪神大震災の1年後の神戸を訪れていたな。愛猫が我が家に貰われて来たのも、震災の翌年だった。いやはや「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人なり」だ。合掌
 
男はつらいよ 寅次郎相合い傘 (1975) 日本
 
監督 山田洋次 脚本 山田洋次 朝間義隆