『東京物語』は、地方出身者弾劾映画だったんじゃないか?

戦後の小津作品のなかでナンバー1の評価を得ているが、正直少々疑問。というより、この映画の評判が高いのは、外国人監督が贔屓にしてるからで、われわれ日本人の濁りのない目から見たら、外人さんは甘いとしか言いようがないというのが、本稿のスタンスだったりして・・・。 
 
映画のテーマは、根っからの東京人である三男の嫁VS東京に住む地方出身者の長男&長女&大阪に住む次男の、人情VS不人情の対比にあると思う。はっきり言って、結局地方出身者がすべて悪モノになっている。杉村春子など、憎まれ役一手引き受けの感じだった。きっと小津は東京に住んでいる地方出身者が嫌いだったんじゃないか、と性急に結論づけてしまった。 
 
◆◆ネタバレ注意◆◆なぜなら、母危篤の電報を受け取って、どうしようかと相談して「明日の朝の汽車で帰ればいいだろう」などとほざく、子どもがどこにいるんだ?どうしても帰れない事情といえば、優勝直前の阪神タイガース星野元監督くらいのものじゃないか・・・。それに、葬式に長男の嫁も長女の旦那も出席していなというのも、どういうこと?!不祝儀のときこそ、義理を欠いてはいけないというのは、親戚付き合いの不文律で、田舎の方が根強く残ってるはずだ。◆解除◆
 
1903年東京深川生まれで、小学生の頃から三重県の松阪育ちだった小津にしてみれば、物心ついたのは松阪だろうから、根っからの東京人とは言えないものの、そこは生まれが東京で、20過ぎから戦前の東京に20年も住んでいた強みで、戦後、地方出身者が大きな顔をして東京の街を闊歩するのが、ガマンならなかったのだろう。
 
そこで、意地悪くこんな地方出身者弾劾映画を作ったってワケだ。ただ、広島県人の両親に罪はない。田舎の人は田舎にいる限り、いい人なんで、笠智衆東山千栄子はいい人に描いてある。この土着東京人のエゴイズムは、土着京都人にも少しはある。土着大阪人はどちらかというとラテン系だから、そんなケツの穴の小さいことは言わない。しかし、どこに行っても、大阪スタイルを通し過ぎるキライはあるが・・・。我が家の息子も、東京暮らしが5年か6年になったが、今では、いっぱしの東京人の顔をして、東京の街を歩いていたりするのだろうが、夫婦とも、土着大阪人なので、家の中はまんま大阪のようだ、ただ、もうすぐ一歳になる娘がバイリンガルになるのか、それとも、東京弁になってしまうのか?ちょっと心配だ。
 
◆◆ネタバレ注意◆◆ 私が笠智衆だったら、親をたらい回しにするような息子や娘には、「それが親に対する態度か。誰のおかげで大きくなったと思っとるんじゃ!」とねちねち文句を言い続けてやるぞ。熱海の旅館のシーンでも、普通なら「やかましわ。静かにせんかぁ!貸し切りと違うぞ」と怒鳴り込んでいくところだ。それから医者の長男にも「何ぼさっとしてるんじゃ?!嫁も倅もさっさと葬式に来ささんかい(怒)!それにお前も医者だったら、どんなコネを使かってでも、広島の大学病院に入れる段取りをせんかぁ!自宅で母親を寝かしといてどうするんじゃ?!この親不孝もの!」大阪に住んでいる次男にも「お前もお前だ、貸し布団の心配する前に、ちゃんとした医者に見せんかい!」◆解除◆
 
笠智衆は1904年生まれだから、小津の1才歳下だ。この映画のときで50前。う~ん、えらい若い。その笠智衆の役は、70過ぎの爺さん。ざっと20才の老け役。さすが爺さん役者日本一だけのことはある。笠智衆は、演技がうまいというより、存在そのものが日本の爺さんだった。日本の爺さんといっても、殿山泰治のように生臭さの抜けない爺さんもいるが、ミスター・オールドマン・コンテスト日本代表として選出されるのは、やはり笠智衆の方だろう。枯れ方がちょうどいい。なかなかあんな風には枯れられない。かつての人気TV番組、さんまのからくりの『ご長寿早押しクイズ』に出て来ていたエロ爺ィを見るにつけ、どうも日本人は枯れ方が下手になってきたように思ったのは、果たして私ひとりだろうか。 
 
ところで、最近亡くなった高倉健さんは、なんと享年81だった。この映画の笠智衆の想定年齢より10歳くらいは歳を取っていたことになる。あの歳で、あの矍鑠振りは、ある種老いを拒絶する化け物だったのかしら・・・?
 
それにしても原節子は別嬪だ。以前NHKの特番で、香川京子が『立ち居振る舞いがお美しい方でした』と言っていたが、ホントお声も、笑顔も、話し方も、立ち姿も、お美しい。あんなノーブルな感じの女優さんはちょっといない。「お父様」「お母様」「おぢさま」「おばさま」が、われわれ関西人の耳にも嫌味に聞こえない、希有の存在だった。
 
東京物語  (1953)日本