『眺めのいい部屋』は、眺めているだけで、20世紀初頭のイギリス上流階級が分かったような気になる。

冒頭、フィレンツェに旅行したイギリス上流階級のお嬢様であらせられるルーシーとその付き添い役の叔母さんが、とあるペンションの部屋の窓を開けたら、裏道しか見えなかったというところから、映画が始まった。この「眺めのよくない部屋」の意味は、20世紀初頭のイギリスの封建社会の閉塞状況を表現しているのか?ま、この映画は、眺めているだけで、20世紀初頭のイギリス上流階級が分かったような気になる。
 
そこで、付き添い役の叔母さん役のマギー・スミスが、「もっと眺めのいい部屋に変えてくれないか。私たちを誰だと思っているの?」と言いだすのだが、ペンションのマダムは知らん顔をする。このとき、「部屋を変わってあげてもいいよ」と申し出たのが、イギリス中産階級の父子だった。
 
ヒロインのヘレナ・ボナム=カーターは、ひいひい爺さんが元イギリス首相のハーバート・ヘンリー・アスキス伯爵というくらいだから、ばりばりの上流階級出身者だ。『英国王のスピーチ』ではジョージ6世の王妃エリザベス・ボーズ=ライアンを演じていたが、さすがに堂に入っていた。現在は、ティム・バートン監督の事実上の嫁さんらしい。「アリス・イン・ワンダーランド」の赤の女王は、結構気に入っている。(どうも今回は芸能ワイドショーみたいな内容になってきた)顔はそんなに美形ではないが、立ち居振る舞いに育ちのよさを感じさせる。
 
先日、そのティム・バートンの展覧会に行ってきた。グラン・フロント大阪の北館でやっているのだが、ティム・バートンは、子どもの頃から、骸骨や化け物が好きだったようで、長じて、ブラックユーモアもどきのホラーアニメーション作家になったのも、さもありなんな内容だった。今回の展覧会のサブタイトルが「奇才の頭の中」というのも頷ける。この展覧会で発見したのは、あのまるっこい骸骨は、実は「Happy Face」あるいは「Smiley face」ともいうキャラクターだったらしいってこと。「日本ではニコちゃんマーク、ニコニコマーク、スマイルマークなどとも呼ばれ(Wikipedia)」ていたが、あの人気キャラクターが、落ち目になって、人々からすっかり忘れ去られ、酒に溺れ、荒んだ晩年の生活を描いたと思しき絵を観て、「諸行無常の世界観」に納得した。
 
ところで、私はティム・バートンの映画を結構観ていて、ざっと並べてみると、「ビートルジュース」「エドワード・シザーハンズ」「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」「エド・ウッド」「マーズ・アタック!」「スリーピー・ホロウ」「ビッグ・フィッシュ」「チャーリーとチョコレート工場 」「スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師」「アリス・イン・ワンダーランド」と大半の作品は観ている。結構贔屓にしているのだが、「バットマン」「バットマン・リターンズ」「バットマン・フォーエヴァー」のバットマン三部作は未見だった。というか、ティム・バートン作品だというのを知らなかった。
 
会場で、彼のストップモーション・アニメーション映画の処女作といえる短編映画「ヴィンセント」を流していた。確かに、ティム・バートンの頭の中をよく表しているストーリーだった。もうひとつの「ヘンゼルとグレーテル」の方は、何となく居心地の悪さを感じる作品(こっちは実写)だった。何しろ登場人物がすべて東洋人で、母親役は男優が演じているという、かなりの倒錯振りにやや辟易した。
 
今やハリウッドのNO.1スターになった「ジョニー・デップ」も、「エドワード・シザーハンズ」を始め、ティム・バートン映画の常連だ。何となくエキセントリックな所が、お互いフィットするのだろうか?このコンビの最高傑作は、やはり「エドワード・シザーハンズ」だろう。個人的には、「エド・ウッド」も結構気に入っている。それにしても、「スリーピー・ホロウ」 は、この時期、ちょっとTVで放映できないだろう。理由は実際にご覧になれば、納得いただける。
 
ま、この映画のストーリーは究極の淡々狸だ。殺人犯も強盗犯も出てこない(おっと、忘れていた。フィレンツェでは殺しのシーンがあった)。しかし、汚れなきヒロインは、付き添い役の叔母さん役のマギー・スミスにガードされて、安全地帯から一歩も出ようとしない。このまま、同じ上流階級のシシルという若い衆の嫁さんになっても、別に何の不満もないんじゃないかと思った。ちょうど、小津安の『晩秋』の原節子みたいに、封建的な結婚観に従って生きていくことに、あまり疑問を持っていない風だった。ところがどっこい・・・。
 
◆◆ネタバレ注意◆◆運命の悪戯という奴だ。こともあろうに、シシルが自分から恋敵の男を連れてきた。 シシルの斡旋で、あのイギリス中産階級父子が同じ街に引っ越してきた。この父子の子の方のジョージという若者は、フィレンツェで、ルーシーの唇を奪った男だった。それで、すったもんだが少々あって、最後に、ルーシーが性に目覚め(もとい、自分の気持ちに忠実に生きることに目覚め)、正に結婚式が行われんとする教会から、ウエディングドレスのまま、手に手を取って駆け落ちするのだったら、まんま『卒業』なんだが、それほどドラマチックな演出ではなかった。◆解除◆
 
あの『ギャング・オブ・ニューヨーク』で、殺し屋ブッチャー役をやっていたダニエル・デイ・ルイスが、繊細なイギリス上流階級の青年、シシルの役を見事に演じていた。そういえば、この役者、この前の『父の祈りを』では、アイルランドの不良の役だった。演技の幅が広いというより、この役が一番嵌まっていると思う。
 
『ギャング』の肉屋のときは、何となく線が細いんじゃないかと思ったし、『祈り』のときは、街のチンピラ小僧にしては、品のある顔をしていると思ったら、この若い衆のお父さんは、なんと英王室ご用達の桂冠詩人というではないか。だからというわけでもないが、何となく、このシシルというスポーツてんでダメ文学青年風の若い衆の方を贔屓にして観ていた。
 
もうひとりの、ジュリアン・サンズがやっていた、イギリス中産階級父子の子の方のジョージという若い衆も、結構変人なんだが、こっちは、どちらかと言えば、文武両道青年だった。昔から、女友達争奪戦で、ひ弱な文学少年タイプは、文化祭でも、体育祭でも、活躍する文武両道少年に、大抵苦杯を喫していた。だめんず好きの女というものが存在するというのを最近知ったが、当時の私の周りの美少女は、総じて文武両道好きだったように思われる。と言っても、私自身は、ひ弱な文学少年ではなかった。かと言って、文武両道少年でもなかった。ということは、地味な、影の薄い、いるのか、いないのか、ほとんど目立たない、セロハン少年だったのか?(よくまぁ、長じて秋葉原通り魔事件みたいな犯罪者にならならなかったことだ)
 
付き添い役の叔母さん役のマギー・スミスは、絶品だった。如何にもこんな叔母さん、いそうだった。小津安の『麦秋』の杉村春子といい勝負する。あっちは上流階級で、こっちは思いっきり庶民のおばちゃん役だったが・・・。
 
この映画で、唯一の欠点というか、?マークが浮かんだのは、男3人の全裸の水浴シーンだ。この監督、何であのシーンをあんなに延々と撮ったのだろう?しかも、DVDでは、肝腎の部分に黄色っぽい●がかぶせてあるものだから、男3人が走り回ると、黄色い●も一緒に走り回る。ほとんどテレビのコントみたいだった。
 
眺めのいい部屋 A ROOM WITH A VIEW (1986) イギリス