『ブロードウェイと銃弾』は、そんなに笑える映画とは思わなかった。

こういう映画をバックステージコメディというらしいが、そんなに笑える映画とは思わなかった。台詞のちょっとしたニュアンスとかで、ユーモアというか、くすぐる笑いなんかをちりばめてあるのだろうとは思うけれど、字幕ではそこまで伝わらんからか・・・。
 
ウディ・アレンくらい巨匠という形容が似合わない監督も珍しい。軽妙とか、洒脱とか、都会派とか、粋人とか、才人というのはピッタリだが、如何にもニューヨーカーで、タコにもユダヤ人だ。しかし、どこか万人受けしない。
 
どうして?とつらつら考えるに、誰もウディ・アレンの暴走(?)を止められないからだろう。制作費が思いきりかかる大がかりなセットも作らないみたいだから、興行成績にそんなにピリピリしなくてもいいんじゃないか。この映画の主人公の脚本書きのおにいさんなんかは、かわいそうなくらい書き直しをさせられていたが、ウディ・アレンの書いた脚本にケチをつける映画会社のお偉方みたいな存在はいないということだろう。
 
つまり、ハリウッドとは別のシステムで映画作りをやっているから、書きたいシナリオを書いて、撮りたいように撮る。ま、唯我独尊状態だね。なもんで、ウディ・アレンが書いた脚本どおりに映画は撮られていくから、誰が見ても、なんだかおかしいんじゃないかと思うところがあっても、有馬徹とノーチェックバーナーだ。それにしても、好き放題に映画を作っているはずのウディ・アレンが、何故またこんな脚本書きの悲哀みたいな映画を作ったのだろう?
 
◆◆ネタバレ注意◆◆この脚本書き兼演出家のおにいさんは、芝居の公演資金を出してくれるスポンサーがやっと見つかって、なんとか稽古を始められることになったが、スポンサーというのがギャングのボスで、自分の情婦のショーガールを主役にするという条件で、芝居の資金を出しているのだ。この情婦のボディガード役で、稽古場に来ていたチーチという名前のギャングのおにいさんが、脚本にいろいろ口を挟む。仕方がないので、その意見に従って何回も書き直して、「何も足さない。何も引かない」の正反対で「あれも足しぃの、これも引きぃの」と、しがないコピーライターみたいに、台本を換骨奪胎していたら、結構いい芝居になって来たんだが、自分が書いた脚本とは言えない代物になってしまった。
 
しかも、ボスの情婦は箸棒の大根で、その内チーチがすっかり脚本家気取りになって、「あの女の下手な芝居にはガマンがならん。オレの芝居が台無しだ」と言って、この情婦をズドンと始末してしまう。 本来の脚本書きのおにいさんも、大女優と浮気したもので、同棲していた彼女に逃げられて、踏んだり蹴ったり状態なんだが、芝居の初日の幕が上がると、代役の女優の熱演もあったし、舞台裏でのドンパチも絶妙の効果音と間違えられて、大成功。めでたしめでたしの話だった(のか?)。◆解除◆
 
自分は、誰にもいちゃもんをつけさせない(たぶん)くせに、いちゃもんをつけられまくるかわいそうな男の話を映画にするところが、ウディ・アレンらしいシニカルなコメディ・センスというべきか?言い換えたら、イケズ、スカンタコだろうけれど、それが反感をもたれる所以でもあるのだろう。
 
なんだか、ウディ・アレンを弾劾するような展開になってしまったが、決してウディ・アレンの映画がキライではない。ただ、『ブリキの太鼓』がキョーレツ過ぎたので、今になると、どんな映画だったのか、さっぱり思い出せない。ま、その程度の軽いノリの映画ということだ。 「ブロードウェイと銃弾」というのは、意味不明の邦題だ。この映画の原題『BULLETS OVER BROADWAY』は、和訳すると『ブロードウェイを飛び交う銃弾』でしょう。このタイトルなら映画の内容をきちんと表している。
 
ブロードウェイと銃弾 BULLETS OVER BROADWAY (1994) アメリカ  
出演:ジェニファー・ティリー、ジョン・キューザックダイアン・ウィーストチャズ・パルミンテリ、メアリー・ルイーズ・パーカー、ロブ・ライナー