『時代屋の女房』は、この時代の日本映画のダメな部分がいっぱいの映画でもあった。

Padでレンタルしていた「時代屋の女房」をなかなか観る機会がなかった、というか、観る気にならなかったので、ほったらかしにしていたのだが、あと一日でレンタル期間が終了というメッセージが、iPadの画面に表示されたので、やっと観る気になったというか、観る気がないのなら、初めからレンタルしなきゃよかったものの、このままレンタル期間が終了してしまうのも癪に障るので、重い腰を上げたって訳だ。
 
この映画、1983年の製作だから、ざっと32年前になる。そんな昔の映画だったのかという感慨が一入。それにしても、夏目雅子嬢はお美しかった。当時26歳。近頃の日本の女優は、カワイ子ちゃん系が多くなって、ほんものの美人というのはあまりいない。その点、雅子嬢は、美しさがほんものという感じがした。どことなく、阿修羅像に似ていなくもない。今時の26歳の女の子にはない(と思う)気品のようなものが漂っていた。
 
主人公の時代屋の主人は、当時の私と同じ年頃の35歳だ。ま、私の周りには、謎めいた女が登場することはなかったが、あんな別嬪さんがふいに目の目に現れて、しかも何の前触れもなしに失踪されたら、普通の男なら、気がおかしくなってしまうのではなかろうか?ところがどっこい、この主人公は、あまり堪えている風ではなかった。ま、ボディブロウ気味には堪えていたようだ。
 
さらに、この男も、他の登場人物も、それぞれが事情を抱えているのだが、それぞれの事情に、あまり深入りすることはしないので、いまいち印象が、味噌の足らない味噌スープだった。飲み屋に集まる面々のうちでは、津川雅彦の喫茶店のマスターだけが、人品骨柄がしっかり構築されていた。こういう50がらみの親爺がいてもおかしくはないというリアリティーがあった。と言っても、あの役は、大阪弁にかなり助けられていたと思うけれど・・・。時代遅れの男という意味では、こちらの方がぴったりだった。
 
しかし、この時代の日本映画のダメな部分がいっぱいの映画でもあった。何より必然性が感じられないエピソード、そんな奴はいないだろと思わせるような不自然なキャラクター設定、さらに、なくてもいいんじゃないかというサービスカット、いずれも、作品としての完成度をはなはだしく毀損している。
 
原作を読んでいないので、どの程度脚色してあるのか判らないのだが、謎の女としての真弓の謎の部分をもっと描くか、時代屋の主人との不条理な関わりに重点を置いたシナリオであれば、作品としてもっとよくなったんじゃないか?飲み屋に集う面々のそれぞれの個人的事情のようなものも、もっと深堀りされるか、それをしないのだったら、カットされるべきだった。
 
監督にしても、脚本家にしても、ややこしいことは表現したくなかったのか、あるいは、雅子嬢の魅力だけを出せたらいいのだと、会社からきつく言われていたのか?
 
雅子嬢は、やはり若い女ならではの軽さと、その裏にある重さの両方を表現していた。真弓という女は、出処来歴の定かでない、架空の存在のような女、まさに男の妄想の中にしか存在しない女、いわば、「気狂いピエロ」のアンナ・カリーナみたいな、重力の影響を受けていないような女だ。
 
とは言っても、ここはフランスと違ってジャポンだ。それも1980年代初頭の日本の、しかも、トーキョーの大井だ。品川が今ほど脚光を浴びてなかった頃の大井と言えば、大井競馬場以外にイメージが湧かない。その競馬場も、まだまだ垢抜けしなかった頃だ。大阪で言えば、園田競馬場みたいなものか?そんな時代の日本人なんだから、思いの外に重いのは仕方ない。ま、存在の重さの方は、どちらかというと、一人二役の美郷の方に色濃く出ていたが・・・。
 
この年の5月4日に寺山修司が亡くなった。7月15日に「ファミコン」が発売された。10月12日にロッキード事件丸紅ルート判決公判があって、田中元首相に懲役4年、追徴金5億円の実刑判決。12月8日には、愛人バンク第1号「夕ぐれ族」というのが売春周旋容疑で摘発された。年末には、第2次中曽根内閣が発足。世相全体では、ワープロが急速に普及/東京ディズニーランド開園/NHKドラマ「おしん」ブームや「キン肉マン」人気/AIDS騒ぎと、まあ、如何にも昭和な時代だった。
 
時代屋の女房 (1983) 日本
監督:森崎東 脚本:森崎東荒井晴彦・長尾啓司
出演:渡瀬恒彦 夏目雅子 沖田浩之 中山貴美子 趙方豪 平田満 藤田弓子