『未来世紀ブラジル』は、なんとも歪んだ世界を作ったものだ。ほとんど全編悪夢だった。

なんとも歪んだ世界を作ったものだ。ほとんど全編悪夢。カフカの「審判」を現代的にというか、近未来的に解釈した映画といったところだ。爆弾テロが横行する超管理&情報化社会(国民総背番号制どころか情報剥奪局という役所まである)という意味では現在の世界情勢とどこか通じるところがあるが、この映画の背景となっている世界は、あまりの異様さで辻褄の合った説明がしにくい。
 
こんなにパソコンやスマホが一般人の自由に使える情報端末として普及するなんて、誰も考えもしなかった頃の作品だ。しかし、世の中というのは、けっこう経済的にリーズナブルな形で進化・発達するもので、この映画のようないびつな進化・発達は決してしないこともよく分かる。子供の頃に見た21世紀の社会の想像図というのは、大抵車が宙に浮かんでいたり、宇宙服のような服を着ていたものだが、現実の21世紀の社会は、普通の顔つきをしている。
 
ただ、この映画では、現実(といっても、監督が創り出した仮想現実だが)と主人公の妄想の映像が交互に現れるから、どこまでが現実で(あくまで仮想現実ではあるが)、どこからがイマジネーションの世界なのか、ぼやっと見ていると混乱する。
 
ひとつひとつのシーンに、監督のこだわりがてんこ盛りになっている。登場人物の服装は、戦前のサラリーマンのような背広に中折れ帽ファッションだし、明和電気で作っていそうな旧式のタイプライターのようなコンピュータの端末(パソコンではない)やら、懐かしや、メッサーシュミットの一人乗り3輪自動車のような一人乗り3輪自動車が出てくる。さらに、箱形の通勤用車両(なんと片足の女性が立っているのに、だれも席を代わらん)、やたらに高い吹き抜けの拷問室等々が出てくる。
 
また、妄想シーンでは、不気味な赤ん坊のように匍匐前進する不気味な生き物(突出して気持ち悪かった)、鎧甲旗指物で武装した巨大な影武者(事実、瞬時に影のようにかき消えてしまえる)、鳥の翼のような飛行装置(これも明和電気で作っていそう)等々の有象無象が出てくる。細部をつぶさに観察してるだけでも、結構暇つぶしできそうな映画ではあるのだが。。。
 
それにしても、映画の冒頭で「20世紀のどこかの国」とわざわざ断っているのに、なぜ邦題に『未来世紀』がついているのだと疑問に思ったが、この映画が公開されたのは1986年だから、21世紀は遙かに遠い未来の頃だった。ま、20世紀といっても、限りなく21世紀に近い20世紀末だったら、未来世紀でもいいってことにしておくか・・・。 
 
『ブラジル』というタイトルに合わせたのだろうが、ザビア・クガート楽団のラテンの名曲「ブラジル」が奇妙にマッチしていた。もうひとつおまけに、さすがというべきか、ロバート・デ・ニーロがいい味をだしていたな。
 
未来世紀ブラジル(1985)イギリス・アメリカ Brazil 
監督:テリー・ギリアム