『グリーン・デスティニー』というと、熱帯雨林の消滅を嘆くドキュメンタリー映画みたいな題だ。

この映画、話の筋はよく分からなかったが、ワイヤーアクションはそれなりに観ていて面白かった。サーカスのアクロバット空中ブランコを観るのと基本的には変わらないのだが、移動する空間を思い切り引き延ばし、スピード感を高めてあるから、遙かにダイナミックな見せ物になっている。
 
しかし、実際の空中ブランコを観るときのスリル(ひょっとして落ちるんじゃないかとか、うまいこと掴まえられるのかといった不安感と期待感が綯い交ぜになった複雑な感情)はない。安全確実なシミュレーション・ゲームのような感じだ。といっても、実際に人間が演じているのだから、CGよりは遙かにリアリティがある。
 
特に、竹林の上のバトルは秀逸だった。あのシーンを観ただけで、ま、元は取ったかなという気にしてくれる。なかなかひとつのシーンだけで満足出来る映画というのも珍しいが、『フィッシャー・キング』のセントラル・ステーションのシーンなんかもそうかな・・・。
 
渋さが出てきたチョウ・ユンファ倍賞美津子似のミシェル・ヨーの秘めたラブストーリーは、激しすぎないところがいい。ミシェル・ヨーは、なんとなく藤沢周平の『用心棒日月抄』シリーズに出てくる女嗅足・佐知とイメージがダブってしまった。アジア人特有の控えめな立ち居振る舞いがよかった。それにしてもヨーヨー・マの嫋々たるチェロの響きが、絶妙の雰囲気を醸し出していたなぁ。
 
もう一人のヒラメちゃん(チャン・ツィイー)は、『初恋のきた道』のときと同様、そこいら中を走りまくっていた。彼女のいいところは、小柄な体つきとあどけなさの残る顔だろうが、この映画では、性格のよく分からない女だった。すごくわがままで、可愛げのない娘で、結局この小娘にまわりの大人が振り回されっぱなしの映画だったとも言える。
 
19世紀初頭の中国を舞台にした武侠小説(英雄ものの大衆小説)の映画化らしいのだが、時代考証などはきちんとされているのか不明だが、観ていておかしな違和感はない。アメリカ人監督が、東洋や東洋人を撮った映画だと、どこかちぐはぐな印象が否めないものだが、中国人監督が自国の時代劇を撮っているのだから、まあ、変なことにはならなかったのだろう。それにしても、山田洋次の『たそがれ清兵衛』に失望した私としては、今度は忍法ものの第一人者、山田風太郎先生の「忍法帖」シリーズをハリウッドの資本で製作してくれないかと、切望する次第であります。
 
第73回アカデミー賞の外国語映画賞・撮影賞・作曲賞・美術賞を受賞したそうだが、撮影・作曲・美術については、ま、それなりの評価と言えなくもない。しかし、なぜ『CROUCHING TIGER HIDDEN DRAGON』という英語版の題名をわざわざ『グリーン・デスティニー』などというワケの分からないカタカナ邦題につけかえたのか?直訳したら「緑の運命」。熱帯雨林の消滅を嘆くドキュメンタリー映画みたいな題じゃないか?映画会社のセンスが理解できない。
 
ネーミングの善し悪しで、商品の売れ行きに大きな差が出るのは、マーケティングでは常識だが、映画の題名は小説の題と同じで、本来その題名が内容を示唆するものであれば、忠実に日本語に置き換えるべきではないだろうか。誤訳というのは仕方がないが、外国文学の翻訳の際に、作家に無断で勝手に題名変えてしまったりはしないだろう。それが、映画に限って、配給会社の宣伝担当者が勝手な邦題をつけまくっているのは、作品に対する冒涜以外の何ものでもない。と、ちょっと激してしまった。
 
グリーン・デスティニー(2000)中国・アメリカ CROUCHING TIGER HIDDEN DRAGON 
監督:アン・リー