『太陽と月に背いて』どうすんの?

ひとりの傍若無人な少年と30前の男との道ならぬ恋の話だが、ふたりの間にあったはずの芸術がすっぽり抜けているので、なんだか妙に生々しいゲイ映画になっていた。 ランボーとヴェルレーヌが、たとえ出来ていたとしても、朝から晩まで虎のように愛しまくっ…

『御冗談でショ 』は、冗談といえば、すべてが冗談みたいな話だった。

マルクスブラザースの映画デビュー4作目。次作の『我輩はカモである』の後にMGMに移籍し、ほぼ年一作のペースで、主演映画が作られ続けたが、傑作の呼び声が高いのは『我輩はカモである』と『オペラは踊る』とこの映画の3本だ。 特に、後半のフットボー…

『バスキア』は、脇役陣が曲者揃いだった。

こういう夭折した芸術家に弱い私としては、この映画も出来はいまいちとしても、結構気に入った。ニューヨークの落書きアート出身のアーティストとしては、日本ではキース・ヘリングの方が有名かも知れないが、バスキアの方が、文学的というか、かなり社会的…

『リービング・ラスベガス』は、壮絶な酔生夢死の物語だった。

これは、現代の酔生夢死の物語だ。あるいは、ダメ男と娼婦の切ないラブストーリー。客は遊女に惚れたと言い、遊女は客に惚れたと言うのが、かつての遊里での常識だったらしいが、この映画では、客と娼婦として出会った男女が、お互いに惚れあった。 飲み過ぎ…

『クレイジー・イン・アラバマ』は、二つの狂気が同時進行していた。

『マレーナ』のませたボウズは下半身妄想性ストーカー野郎だったが、今回のピージョー少年は、13才にして社会正義に目覚めた男子中学生だった。どちらかというとこちらの少年の方が好きだな。 この映画、ふたつの狂気が同時進行してるのだが、ひとつは、社…

『マレーナ』は鄙にはマレーナ別嬪さんだったが、映画はスカだった。

12才のガキのストーカー行為や下着泥棒を「よく分かる」と思うか「何をさらしとんじゃ」と思うかで、観る人の成熟度が測れる。ロッテのバレンタイン元監督似のこのボウズのやっていることが気味悪かった。やはり。こいつは少々変態じゃないか・・・。 鄙に…

『イル・ポスティーノ 』は、地味な映画だった。なにしろ隠喩(メタファー)がテーマなのだ。

地味な映画だった。なにしろ隠喩(メタファー)がテーマの話なんだから。隠喩というのは、雨のことを「空が泣いている」という類いだ。隠喩で記憶に残っているのは、中原中也の「トタンがセンベイ食べて 春の日の夕暮は穏かです」くらいだ。これは春のつむじ…

『ラジオ・デイズ』で、日本人が懐かしいなぁと思うのは、ちょっと変かも。

ウディ・アレンは、いかにもニューヨーカーらしい小洒落たコメディ映画をいくつも撮っているが、1935年生まれだから、もう80前の爺さんだ。1965年製作の『何かいいことないか子猫ちゃん』とか『ボギー!俺も男だ』などの初期の作品以来、随分ご無…

『眺めのいい部屋』は、眺めているだけで、20世紀初頭のイギリス上流階級が分かったような気になる。

冒頭、フィレンツェに旅行したイギリス上流階級のお嬢様であらせられるルーシーとその付き添い役の叔母さんが、とあるペンションの部屋の窓を開けたら、裏道しか見えなかったというところから、映画が始まった。この「眺めのよくない部屋」の意味は、20世…

『アダプテーション。』で最もインパクトがあったのは、車の衝突シーンだ。

この映画を観る前に、『マルコビッチの穴』を観ておいた方がいいかも?何しろ、監督、脚本とも、同じコンビの作品というだけでなく、その脚本家本人がモデルの映画だった。ハリウッドの映画界の内幕ものというジャンルは昔からあったように思うが、この映画…

『ゴスフォード・パーク』は、「プロはきちんと先を読んで手を打つ」という発言に感心した。

群衆劇というらしいが、登場人物が大勢出て来て、しかも、誰が主役ということもないから、どいつがどいつや、あいつがそいつか、こいつはだれや?と役者の顔とその役柄を把握するのに手間取った。唯一マギー・スミスだけは、すぐにアイデンティファイ出来た…

『タイタンズを忘れない』は、観た後でどんな映画だったかすぐに忘れてしまいそうだった。

『タイタンズを忘れない』というタイトルなんだが、観た後でどんな映画だったかすぐに忘れてしまいそうだった。ま、どうってことのない映画だけれど、ちょっと地味すぎる。確かに、実話に基づく映画だから、そんなに無茶な展開はあり得ないのだろうが、あま…

『遠い空の向こうに』は、アメリカ人の底力というか、アメリカン・ドリームの典型を見せられた気がした。

アメリカ人の底力というか、アメリカン・ドリームが実現した典型を見せられた気がした。ひと昔前の日本でも、自分の所属しているど田舎の町や村から脱出したいと思ったなら、都会の大学に合格するのが一つの手段だったが、1957年ごろの、ジョン・デンバ…

『我輩はカモである』は、70年前のギャグが全く古なっていなかった。

この映画を観るまで、マルクス・ブラザースが、元々4人組だったとは知らなかった。これまで観た彼らの映画は、MGMに移籍してからの『マルクスの二丁拳銃』だけだった。あの映画もかなり笑えるスラップスティック・コメディだったが、この映画は、はるか…

『ボウリング・フォー・コロンバイン』は、アメリカの銃社会の問題を真正面から取り上げた力作だった。

ドキュメンタリー映画監督というと、その昔『世界残酷物語』なんかの一連のいかがわしい実録もの(?)で有名だったヤコペッティくらいしか思い浮かばなかったが、マイケル・ムーアが出てきてからは、すっかりドキュメンタリー映画の大看板になってしまった。…

『地下鉄のザジ』は、喜劇として芯になる喜劇役者がいないから、全然笑えなかった。

一応スラップスティック・コメディということになっているが、全然笑えなかった。思うに、ルイ・マルという監督には、お客を笑わせてやろうというサービス精神も、笑いのツボを的確に押さえるコメディ・センスも、皆無なんだ。端から客が腹を抱えて笑うよう…

『ミステリー・トレイン』は、はずしがうまいというか、盛り下がるというか。

1989年の製作だから26年前の映画か。それにしてもメンフィスの町は、今はどうなのか知らないが、この時代は随分寂れていた。まぁ、アメリカの地方都市は大体あんな感じだ(といっても半世紀前のカンザスシティしか知らないのだが)。ダウンタウンにはビ…

『アバウト・シュミット』は、アメリカ人の枯れた演技というのは、こんな感じなんだと思った。

65才で定年退職したジャック・ニコルソンのシュミットの親爺さんは、さあ、余生は嫁さんと何をして暮らそうかと、考えていた矢先に、嫁さんに急逝されて、男やもめになってしまった。普通はこういう展開になったら、はちゃめちゃな親爺の冒険譚が始まるの…

『蝶の舌』は、話がすうすうしているうちに、最後の場面まで来てしまった。

この映画、久しぶりに観てるうちに居眠りをしてしまった。何とも脈絡のない話が続くじゃないかと思っていたら、やはり、マヌエル・リバスという作家が書いた原作の映画化で、しかも、原作は16の短編から出来ていて、そのうち「蝶の舌」「カルミーニャ」「霧…

『チョコレート』は、ビターなだけじゃなく、ブラック&ホワイトのミックスチョコだった。

何しろ邦題が『チョコレート』だ。なんの予備知識もない純な私は、スイートなラブストーリーだろうと思っていた。ところが、どっこい、かなりビターなチョコだった。ビターなだけじゃなく、ブラック&ホワイトのミックスチョコだった。 これはまあ、ハル・ベ…

『風の谷のナウシカ』は、固いことを言わずに、ニコニコしているのが、大人の鑑賞法のようだ。

宮崎アニメの最高傑作は、この『風の谷のナウシカ』か、それとも『天空の城ラピュタ』か、意見が分かれるところだろうが、こちらの方が好きかな。20年前の作品とは思えない。『千と千尋の神隠し』より100倍いい。ストーリーに奥行きがあり、強いメッセ…

『イン・ザ・ベッドルーム』は、ポルノチックなラブストーリーかと勘違いするが、まったく正反対だった。

このタイトルで、このDVDパッケージだったら、ポルノチックなラブストーリーかと勘違いするが、まったく正反対というか、お色気なし、オフザケなし、踊りなし、(ただし、歌少しあり)、スリルなし、サスペンスなし、どんでん返しなし、なし、なし、なし…

『レオン』は、映画のツボをことごとく押さえた演出だから、つっこみを入れている暇がない。

さすがにリュック・ベッソンはプロの映画監督だ。前回の『都会のアリス』の映画評で、少女と男の道行きものでは、『レオン』の方が100倍いいと書いた手前、もう一度見直して、どこがどういいのか、きちんと検証してみた。 ジャン・レノ扮するイタリア系ヒ…

『都会のアリス』は、映画そのものが、落書きみたいなものだと思った。

ヴィム・ヴェンダースのロードムービー3部作の第1作にして、傑作の呼び名にまた騙された。同じ監督の『パリ、テキサス』は、パリからテキサスまでの旅の話だと思っていたら、そうじゃなかったが、この映画は間違いなくロードムービーだった。何しろ、アメ…

『ジョンQ-最後の決断-』の最後の決断は、ぶっ飛びすぎじゃないかと思う。

確かにまじめに働いていたのに、会社の勝手な都合で医療保険の保障のランクを落とされて、「お子さんの心臓移植手術は、あなたの会社が加入している保険ではできません」と言われたら、途方に暮れるな。アメリカは医療費がべらぼうに高い。しかも、公的な医…

『恋愛小説家』のジャック・ニコルソンが、何にでも必ずケチをつけるのは、それなりに正しい親爺の態度だと思う。

ジャック・ニコルソンとヘレン・ハントのアカデミー主演賞ダブル受賞の作品だから、観ても別に損はない。「ハーレクイン・ロマンス」か、なにかの恋愛小説を専門に書いている作家役のジャック・ニコルソンの毒舌が小気味よい。何にでも必ずケチをつけるとい…

『フィッシャー・キング』は、テリー・ギリアムにしては、わりとまともだった。

こういうキリスト教の伝説とかに基づく映画は、異教徒にとっては根本のところがよく分からないのだが、ま、悲惨な出来事によるふたりの主人公の精神障害(ひとりは現実逃避&幻視症、ひとりは対人恐怖症か)からの復活と癒しの映画なんだろう。もうひとり、…

『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』は、ディカプリオの若作りが異様に決まりすぎいて、気持ち悪かった。

日本人に限らずアジア系(モンゴロイド)は、欧米人に比べて若く(子供っぽく)見られがちだが、あれは、モンゴ ロイドは脳の前頭連合野が未熟なままで生まれてくるからだという話を『平然と車内で化粧する脳(2000年9月扶桑社刊)』で読んだ。 この本の…

『北京ヴァイオリン』は、誰にも感情移入できないまま、ラストにたどり着いてしまった。

貧乏父さんのリウ・ペイチーが、ヴァイオリン抱えて生まれてきたような天才少年の息子を「何とかして一流のヴァイオリニストにしたりたい。いい音楽の先生をつけて中国音楽界に華々しくデビューさせたりたい」と、一念発起して息子共々北京にやって来るが、…

『ゴースト・ドッグ』のように設定が適当な映画は珍しい。

何とも奇妙な設定を思いついたものだ。ニューヨークに住むアフリカ系アメリカ人の殺し屋が日本の武士道マニアで、しかも、伝書鳩愛好家というのだ。そいつの主人(と勝手に思いこんでいる)がマフィアで、そいつの指令で、一手に暗殺を引き受けている。唯一…