『カイロの紫のバラ』は、多少の修羅場はないこともないが、基本は大人のファンタジーだ。

この映画は長らくDVDの発売がなかったので、ヤフオクでVHSビデオ版を落札して観たのを思い出した。落札価格はかなり高かったように記憶する。もうひとつ、今をときめくジョニー・デップの出世作(?)「デッドマン」は、DVDは発売されていたのだが、廃盤になって久しく、その廃盤DVDも、ヤフオクでは相当落札価格が高かったように記憶している。それが今では、アマゾンで、「デッドマン」が1000円、「カイロの紫のバラ」が906円なんだから、がっかりを通り越して、情けなくなってくる。
 
ビクトル・エリセ監督の「ミツバチのささやき」と「エル・スール」も、デジタルリマスター版のツインパックBlu-rayが6645円で買える(6月19日の発売らしいが、現在アマゾンで予約受付中)のだが、あのほとんど真っ黒で、何が写っているのかよく分からない画面を、デジタル処理で明るくしたのだろうか?
 
さて、本題に戻ると、ドジでのろまな人妻のミア・ファローは、乱暴者で浮気者の亭主にほとほと嫌気がさしている。この親爺、失業中のくせに、仕事も探さないで酒とギャンブル三昧で、嫁さんのなけなしの金までせびりとる。しかし、別れる決心がつかないのか、ドジでのろまな人妻は、映画館の銀幕で繰り広げられる虚構の世界に身を浸し、つかの間夢を見ることで、味気ない結婚生活を堪え忍んでいた。
 
ところが、5回も同じ映画(この映画中映画の題名が『カイロの紫のバラ』なんだ。なんとも意味深な題ではあるが、何かにひっかけてあるのだろうか?)を観ているうちに、突然、スクリーンから、端役の考古学者にして冒険家のおにいさんが抜け出てきて、ドジでのろまな人妻とその男前が恋に落ち、しかも、その考古学者にして冒険家の端役をやっていたホンモノの俳優まで目の前に現れて、こっちの男前とも意気投合して、亭主を含めた四角関係になるという話だ。
 
こんな風に書くと、とんでもなくややこしい、どろどろのメロドラマみたいだが、さにあらず。多少の修羅場はないこともないが、基本は大人のファンタジーだ。全編おとぎ話風に描いてあるから、子供に見せても大丈夫。この映画を子供に見せて、どうするのって気もするけれど・・・。
 
客観的に言えば、映画を観ていて、出ている役者にうっとりしすぎて、妄想の世界に入り込んだドジでのろまな人妻の夢オチ映画というところだ。現実の世界と空想の世界との境目を越えてしまって、向こう岸へ行ってしまったのだから、周りがあれこれ言っても、詮方なしだ。
 
しかし、ここからが、ウディ・アレンの真骨頂で、観客が映画の中の人物を観ているだけではなくて、映画の中の俳優(というか役のキャラクター)も観客を観ているという設定のアイデアを思いついたことだ。確かに、大勢の人と一緒に観ている映画館のなかでも、観客は一対一の気分で、お気に入りの役者を眺めている。カメラ目線のアップなんかになると、あこがれのムービースターに見つめられているような気になって、ぽーっとなるときがあった。が、最近はない。 
 
ラブロマンス好きの女の人は、ここからは読まずに飛ばしてね。◆◆ネタバレ注意◆◆つらつら思うに、もしも、スクリーンの中の役者から映画を観ている観客のアラレもない姿が見られているとしたら、こりゃ、えらいこっちゃ。夏場は大抵パンツ一丁で、ソファに寝ころんでDVDを観ているんだけれど、ときどき鼻の穴をほじったり、股間をボリボリ掻いてたりもする。そんな無様な姿を若き日のオードリー様に見られたりした日には、赤面するどころじゃないだろう。もう立ち直られない。それに、もしもポルノ映画を見ながら、せっせと手作業をしてるおニイさんたちが、この事態に直面したら、どうだろう?かなり恥ずかしいんじゃないか?ポルノ映画に出ている女優さんの方も、同じようなことをやっているんだから、見、かつ、見られる関係としては、お互い様か?見られている方が興奮するという変態もいるそうだから・・・。
 
ま、この映画は、1930年代の設定だから、ポルノ映画もなかっただろし(あったかも知れんない。あっち方面への人類の情熱は凄まじいから)、映画は映画館で観るしかない頃だ。今みたいにビデオやDVDで密かに映画を楽しむなんて出来なかったから、スクリーンの中から見られていても、そんなに恥ずかしくはなかったんじゃなかろうか?なんのこっちゃ?
 
この映画の設定で、ひとつ疑問に感じたのは、スクリーンから抜け出てきた、端役の考古学者にして冒険家のおにいさんは、何故教会も妊婦も淫売宿も知らなかったのかという点だ。ま、百歩譲って淫売宿未経験者だったといのは許そう。しかし、考古学者といえば、一応インテリだ。役の上だけでも、大学院くらい出ていないとおかしい。そいつが神の不在についても、生命の誕生の神秘についても、何も知らないというのは、おかしいんじゃないか?
 
最後に、現実の俳優とロマンチックな幻のキャラクターのどちらを選ぶかという、究極の選択を強いられたドジでのろまな人妻が、誰が考えてもそりゃあそうだろの選択をしたあとで、もうひとつの残酷な結末が待っていたというのが、この映画のミソだが、こういう結末だと、夢が破れる気がちょっとしたのは、私ひとりだろうか・・・?◆解除◆ま、それにしても、一見の価値はある。
 
 
カイロの紫のバラ(1985)アメリカ THE PURPLE ROSE OF CAIRO